LUNA SEAが久しぶりにMステに出ていました。どうしても生で見たいと考え、無理に早く帰宅して見ていましたが、なんと13年ぶりであるとのこと。
13年前といえば、3月に『gravity』、そして5月に『TONIGHT』を発表。そしてアルバム『LUNACYが7月にリリースされます。筆者はこのアルバムが一番すきです。その直後にBRAND NEW CHAOSツアーが開始されます。筆者は高校時代の夏の思い出としてこのツアーの参加が記憶に残っています。素晴らしいライヴでした。そのとき買った赤いストラップはいまでも大切に飾ってあります。その後、シングル『LOVE SONG』を発売するとともに、終幕を発表。年末の東京ドームで終幕しました。それが13年前、2000年の出来事です。
今回のMステ出演は、この年以来のものとなるようです。今の若い世代はLUNA SEAを知らないのではないかと思い、説明させていただきたいと思います。現在25歳以下の方々(以下、主にこの世代の方々を「若い世代」と表記します。)は、終幕前は小学生以下ですので、多くの方々がほとんど記憶にないのではないでしょうか。これは大変にもったいないことです。
要旨を先に述べておきます。ただひとつ、これだけを覚えて帰ってください。Youtube先生のところに行ってください。端的にいうと、「LUNA SEAを見ているときの気持ちは、ももクロを見ているときの気持ちとほぼ同じである」ということをお知らせしておきたいのです。
ももいろクローバーZがまだ「Z」を持たない6人の時代、5人体制となる少し前、初めて「しゃべくり7」に出演しました。その月曜日に私はももクロを知りました。多くの人がそうであるように、これをきっかけに私はYoutubeへと向かい、今に至るわけです。非常にベタなパターンだと思われます。
そして、あるとき気が付きました。ももクロを見ているときのこの熱い気持ち、これは以前どこかで頻繁に味わっていたぞ、と。そうです。それがLUNA SEAです。音楽的喜びが加わるので私にとってはLUNA SEAはももクロの上位互換ですが、核となる気持ちはほとんど同じです。
音楽番組全盛の時代、凄腕の司会者とともに多くの音楽トーク番組があり、LUNA SEAの魅力がお茶の間に浸透することに妨げはありませんでした。しかし、今はそうではありません。そこで、この場で私が説明していきたいと思います。
LUNA SEAのメンバーは5人です。これは、ももクロと同じです。そして、5人全員キャラが立っている。これもももクロと同じです。さらに、5人全員目立っている。驚異的なことに全員が主役です。これもももクロと同じです。そして各メンバーと各メンバーのそれぞれの組み合わせによる相乗効果が楽しめる。これも、ももクロと同じです。この時点でほとんど同じグループといって差し支えないくらいです。
5人もいて、それぞれのキャラが明確に把握されるというのは非常に困難です。5人もいれば、誰かと誰かのキャラがかぶります。そうでなければ、誰かが目立たないです。いずれかになります。キャラがかぶるか、誰かが目立たない。5人もいえばそのいずれかは避けられません。1曲は5分程度です。またテレビ番組のトーク時間についても、15分程度でしょう。割り当てられた時間に対し5人というのは非常に多い人数です。そうであるのに、ももクロ、そしてLUNA SEAは5人全員のキャラが非常に明確に立っています。そして全員がそれぞれのキャラを活かして目立っています。
Twitterで見ました。「ガムを噛んでいるメンバーがいて態度悪い」「ギターソロの人、弾いてないじゃん。わざと弾いてない感じじゃん。なにあれ」と。見ました。ずいぶん出回っていました。これを見て確信しました。あぁ、これはももクロがしゃべくりに初めて出演したときと同じだ、と。
わずかなトーク時間。わずかな演奏時間。そこですでにキャラ立っています。ちなみにINORANさんのかっこよさ、RYUICHIさんの歌の魅力。さらには、ドラムを叩いているときの真矢さんの圧倒的なかっこよさに驚く声も多かったです。気付かれてしまいました。お茶の間の若い世代にLUNA SEAが発見されました。
そして気が付くことでしょう。各メンバーの個性と、それぞれの楽器が出す音や歌の個性が同じであるということ。これほどまでにキャラの立った演奏。そしてその中で5人全員が主役である。本当に驚異的なバンドです。
さらには、キャラが立つことも大切ですが、それよりも大切なことは、各メンバーがきちんとそのキャラ通りブレずに振舞うことです。それによって、安心が生まれます。期待が生まれます。組み合わせの相乗効果が具体的に想像できます。
ももクロは歌とトークでそれを発揮します。大舞台でれにさんは仮装して変な表情を見せてしまいます。あーりんさんの歌声はもはや曲中でうまいフックとして利用されています。トークでは地味だった緑のあの子、ちょっと能力高すぎないか。そして黄色は赤に今日も甘えているぞ。真面目な顔を見せたときの赤の迫力にぞくぞくくるぞ…。そういったそれで、安心と期待をもたらしています。では、LUNA SEAの場合はどうか。
まっっったく同じです。
それぞれのキャラ、個性がブレません。そして、キャラがそのまま音になっています。曲の中でも5人全員が主役です。そして特徴同士が絡み合って奇跡を起こします。驚異的なグループです。
LUNA SEAはメンバーの誰かが原曲を持ち込み、それを全員で完成させます。そして、ここがすごいのですが、誰が原曲を持ってきた曲か、すぐに分かります。なぜなら何度も強調しているように、各メンバーのキャラが立っているからです。このイントロのコードを崩した歪んだギター、これはSUGIZO原曲だなぁ。ははーん、この曲はベースの勢いで導いているからJだろう。調べると、正解です。というか、そのような楽器単位の特徴がなくとも、曲の雰囲気で分かります。各メンバーのソロを見ると、本当にキャラそのものが浮かびあがります。あぁあの曲のあの部分はやはりINORANさんのアイディアだな、と明確に感じとることができます。
この部分はCHAGE AND ASKAにも似ています。不完全な人たちが補い合っているわけではなく、完成されたミュージシャン5人が集まっているのだ、と。最近のアイドルは「未完成を愛せ」という雰囲気がありますが、本当に魅力的なアイドルは「完成度の中のほつれ」を持っているアイドルだと思います。これはライムスターの宇多丸さんがよくラジオで言っていることに近いですが、「完成度の中のほつれ」が重要です。未完成だけど、そこをなんとか愛してくれ、というのはハイコンテクストすぎるコンテンツを生み出してしまいます。お茶の間は戸惑います。私も戸惑います。この人が1位!?、と。たぶんよく知れば魅力も分かるのでしょう。たぶん。おそらく。たぶん。しかし楽しむために知っておくべき文脈が多すぎます、ハイコンテクストすぎます。要求が高すぎます。そうではなく、「完成度の中のほつれ」こそ重要でしょう。(ただ、方針転換があったのか、ユーキャンの資格の子やバカの子はあからさまにかわいいですね。素晴らしいですね。)
ももクロは未完成風ですが、完成されています。よくよく考えると、修正すべき部分は見当たりません。このままの特徴で、年齢を重ねても違和感なく存続することを頑張ってほしいと思わされます。全てのライブが貴重です。若い時代は永遠ではありません。
これはCHAGE AND ASKAもそうです。LUNA SEAもそうです。未完成が補い合っているわけではありません。技術もアイディアも超一流です。完成されたミュージシャンが集まってそれぞれの個性をキャラを最大限に発揮しています。そして、はみ出して見えるほつれ、キャラ。RYUICHIさんの歌唱力、表現力の中にはみでてくるキャラ。先に述べた13年前の『TONIGHT』では、イケメンで技術あるギタリストがEのオクターブの「タタッタタタッタ」っていうフレーズをひたすら繰り返します。これはキャラの表出の極致ですね。しかも曲の初めに裏から入っているのもかっこいいですね。Jさんが持ってきたJさんのキャラそのものであるような楽曲の雰囲気。それにINORANさんというキャラを乗せたらこのようなとんでもなくかっこいい曲が生まれるわけです。これは全ての曲について言えることです。
また、時を経たキャラの変化もきちんと活かされています。今回のMステで演奏された新曲はINORANさんが原曲です。これはちょっとした驚きです。例えば、13年前の『gravity』という曲もINORANさんが原曲です。これ、まったく雰囲気が違いますね。大きなことでいえば、メインギターを変えているんです。ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに変わっています。例えば『STORM』という曲のライヴ映像を、昔のものと今の者を見比べてください。音が違います。そして、キャラも変わってきているんです。結構前からですが、INORANさんは笑う時に舌を出すんです。この前のMステでもそうでした。素晴らしい笑顔です。キャラが変わりました。音も変わりました。もう一度言います。キャラが変わりました。そして音も変わりました。はい。そういうことです。
これは、ももクロちゃんたちのソロ活動のヒントにもなるのでは、と勝手に思ったりしています。
以上、LUNA SEAの大ファンであり、ももクロの大ファンである筆者が取り急ぎお届けしました。LUNA SEAは間違いなくもっともっと世間の話題の中心にいるべきバンドです。
2013年9月2日月曜日
2013年8月28日水曜日
トットナム入門2のこと
前回の「トットナム入門のこと」という記事のアクセスが非常に高いので第二弾。
★★★
前回は、中盤のデンベレ、サンドロ、レノン、CFのデフォー、アデバヨール、そしてSBのウォ―カーの紹介をした。
トットナムは今夏大きな補強を行っている。
その一つとして、3000万ユーロでのスペイン代表ソルダードのバレンシアからの加入がある。
02年からそのプロとしてのキャリアを開始した彼の初の海外リーグの挑戦だ。
8/27付けの記事によると、ソルダードはアーセナルとの北ロンドンダービーを楽しみにしているそうだ。
プレミアリーグではロンドンを本拠とするチームが多数ある。
トットナムもその一つであるが、他にアーセナル、チェルシー、フルハム、ウェストハムがある。
また、04-05シーズン以来に今季プレミアに昇格したクリスタル・パレスFCもその一つとなる。
ロンドンダービーといえば、チェルシーとアーセナルの試合が華々しく喧伝されるが、北ロンドンの狭い地域に焦点をあて、隣町ということを重視すると、トットナム対アーセナルこそ真のダービーということになる。
トットナムの本拠ホワイトハートレーンと、アーセナルの本拠エミレーツスタジアムの距離は、日本でいうと渋谷-新宿間より若干遠く、渋谷-池袋間より短いといった程度しか離れていない。山手線でいえば10分程度の距離である。
(アーセナルは06年7月からエミレーツスタジアムを使用している。それまでアーセナルが使用していたハイバリースタジアムとは1マイル程度しか離れておらず、移転後も変わらずトットナムとは近隣となっている。)
また、この北ロンドンダービーは距離的な近さのみならず、歴史的にもその重みがある。
サポーター同士のライバル意識も他のロンドンチームのサポーター間よりも強いと言われるが、その因縁は1913年まで遡る。
トットナムは1899年から北ロンドンの地にその本拠を構えていた。一方アーセナルは、テムズ川以南のロンドン南東部ウーリッチ地区に長らく本拠を置いていた。
しかし1910年、アーセナルはその経営が破綻してしまい、ヘンリー・ノリスという人物に買収さることとなる。
その後、彼の経営への積極的な意識の発露の一つとして、1913年に北ロンドンのハイバリースタジアムへの本拠地の移転が決定された。
現在あるどのチームを想像しても実感すると思うが、本拠地の移転というのは非常に大いなる決断である。
その移転先となったハイバリーと、トットナムの本拠ホワイトハートレーンとの距離はたったの4マイル。近隣のライバルが誕生することとなった。
そして…。
…といった事情を現地の人々がどの程度詳細に把握しているかは定かではないが、とにかくこのような歴史があるのだ。
★★★
そんな北ロンドンダービーを今週末に控えるトットナムであるが、実はすでに開幕戦でロンドンダービーを行っている。
それは、第1節のクリスタル・パレス戦だ。
試合結果としては、第1節のクリスタルパレス戦も、第2節のスウォンジーシティ戦もソルダードのPKによる1-0で勝利している。
この2戦においては、以前述べたデンベレのトップ下も実現されている。今年1月に加入したホルトビーも期待したい。シャルケではラウールが去った以降、トップ下でパスを散らし、献身的な運動量を見せていた(しかしフンテラールを上手く活かすことができず、ラウールがフンテラールをブンデス得点王に仕立てたような働きはできなかった。さすがにそれは求めすぎか…)。
また、今夏加入組であるブラジル代表パウリーニョ、ベルギー代表シャドリがそれぞれスタメンで起用されている。
おナjくトゥールーズから今夏加入したばかりのフランス代表MFのカプー(カプエとも表記される)も起用され、2節にはフル出場を果たしている。
このように、トットナムは新たな選手でチームをつくり直している(おそらくベイルも抜けるでしょう)。そんな中、PKによる1点で逃げ切りという形で、開幕2連勝を成していることは非常に良いスタートだといえる。
今週末のアーセナル戦は、今シーズン初の強豪との試合であり、先に述べた北ロンドンダービーでもあることから、非常に注目に値する試合となるだろう。
★★★
前回は、中盤のデンベレ、サンドロ、レノン、CFのデフォー、アデバヨール、そしてSBのウォ―カーの紹介をした。
トットナムは今夏大きな補強を行っている。
その一つとして、3000万ユーロでのスペイン代表ソルダードのバレンシアからの加入がある。
02年からそのプロとしてのキャリアを開始した彼の初の海外リーグの挑戦だ。
8/27付けの記事によると、ソルダードはアーセナルとの北ロンドンダービーを楽しみにしているそうだ。
プレミアリーグではロンドンを本拠とするチームが多数ある。
トットナムもその一つであるが、他にアーセナル、チェルシー、フルハム、ウェストハムがある。
また、04-05シーズン以来に今季プレミアに昇格したクリスタル・パレスFCもその一つとなる。
ロンドンダービーといえば、チェルシーとアーセナルの試合が華々しく喧伝されるが、北ロンドンの狭い地域に焦点をあて、隣町ということを重視すると、トットナム対アーセナルこそ真のダービーということになる。
トットナムの本拠ホワイトハートレーンと、アーセナルの本拠エミレーツスタジアムの距離は、日本でいうと渋谷-新宿間より若干遠く、渋谷-池袋間より短いといった程度しか離れていない。山手線でいえば10分程度の距離である。
(アーセナルは06年7月からエミレーツスタジアムを使用している。それまでアーセナルが使用していたハイバリースタジアムとは1マイル程度しか離れておらず、移転後も変わらずトットナムとは近隣となっている。)
また、この北ロンドンダービーは距離的な近さのみならず、歴史的にもその重みがある。
サポーター同士のライバル意識も他のロンドンチームのサポーター間よりも強いと言われるが、その因縁は1913年まで遡る。
トットナムは1899年から北ロンドンの地にその本拠を構えていた。一方アーセナルは、テムズ川以南のロンドン南東部ウーリッチ地区に長らく本拠を置いていた。
しかし1910年、アーセナルはその経営が破綻してしまい、ヘンリー・ノリスという人物に買収さることとなる。
その後、彼の経営への積極的な意識の発露の一つとして、1913年に北ロンドンのハイバリースタジアムへの本拠地の移転が決定された。
現在あるどのチームを想像しても実感すると思うが、本拠地の移転というのは非常に大いなる決断である。
その移転先となったハイバリーと、トットナムの本拠ホワイトハートレーンとの距離はたったの4マイル。近隣のライバルが誕生することとなった。
そして…。
…といった事情を現地の人々がどの程度詳細に把握しているかは定かではないが、とにかくこのような歴史があるのだ。
★★★
そんな北ロンドンダービーを今週末に控えるトットナムであるが、実はすでに開幕戦でロンドンダービーを行っている。
それは、第1節のクリスタル・パレス戦だ。
試合結果としては、第1節のクリスタルパレス戦も、第2節のスウォンジーシティ戦もソルダードのPKによる1-0で勝利している。
この2戦においては、以前述べたデンベレのトップ下も実現されている。今年1月に加入したホルトビーも期待したい。シャルケではラウールが去った以降、トップ下でパスを散らし、献身的な運動量を見せていた(しかしフンテラールを上手く活かすことができず、ラウールがフンテラールをブンデス得点王に仕立てたような働きはできなかった。さすがにそれは求めすぎか…)。
また、今夏加入組であるブラジル代表パウリーニョ、ベルギー代表シャドリがそれぞれスタメンで起用されている。
おナjくトゥールーズから今夏加入したばかりのフランス代表MFのカプー(カプエとも表記される)も起用され、2節にはフル出場を果たしている。
このように、トットナムは新たな選手でチームをつくり直している(おそらくベイルも抜けるでしょう)。そんな中、PKによる1点で逃げ切りという形で、開幕2連勝を成していることは非常に良いスタートだといえる。
今週末のアーセナル戦は、今シーズン初の強豪との試合であり、先に述べた北ロンドンダービーでもあることから、非常に注目に値する試合となるだろう。
2013年8月26日月曜日
シャルケ(第3節ハノーファー戦)のこと
シャルケは第3節、中2日アウェイでハノーファーとの試合を迎えました。
ハノーファーはこれまで、第1節は2-0でヴォルフスブルク(最終的にはヴォルフスは9人で戦っていました)に勝利し、前節はアウェイでボルシアMGに3-0で敗れています。
内田篤人は大事をとりハノーファーに同行していません。右SBはホークラントが務めています。
中盤の底は左からジョーンズ、ノイシュテッター。そしてトップ下にゴレツカ。
左SHにドラクスラーが置かれ、酒井宏樹とマッチアップすることになります。
反対のSHはクレメンス。そして1トップにサライという布陣です。
注目は、ファルファンを怪我で欠くことから、SHをどうするか、という点にあったと思います。
中2日なのでスタミナ的な問題でマイヤーを起用するとは思えませんでした。
かといってバルネッタをスタメン起用するのも想像できないところでした。
そうだとすると、ドラクスラーを左SHとしてゴレツカをトップ下でいくことが考えられます。
おそらくこの予想は当たっていたのですが、前半の15分にこのプランは崩れ、元のフォーメーションは把握できませんでした。
前半15分、縦パスに抜け出したセネガル代表ディウフを、ホークラントとヘーヴェデスが追います。
そこで、スライディングしたヘーヴェデスは、足にいってしまい一発レッド。
これによって得たPKで先制されてしまいました。
最悪の展開ですね。
ケラー監督は選手を入れ替えない選択をしました。
前半40分にゴレツカを下げてサンタナをCBとして投入します。
しかし、その少し後、CKをきっかけとした混戦で前半終了間際に追加点を入れられています。
ディウフをつかまえることができず、フリーでヘッドを決められてしまいました。
後半10分にはサライが1点を返します。
右サイド高い位置でのフリースローを受け取ったクレメンスがクロスを上げます。
これをノイシュテッターが胸で前に落とし、これをサライが決めました。
この後、相手の退場もあり、決定機をつくりつつも、追いつくことはできませんでした。
最終的にはフクスまでイエロー2枚で退場していました。
ドラクスラーがなだめているシーンは「おお!」って思わされました。
★★★
◆ドルトムント対ブレーメン 1-0
1-0で連勝中のブレーメンを、ドルトムントはレヴァンドフスキの1点により下しています。
12年ぶりの開幕3連勝だとか。
◆ヘルタ対ハンブルガーSV 1-0
細貝選手がボランチでフル出場し、試合も勝利しています。
◆バイエルン対ニュルンベルク 2-0
守備的にいくという戦術的理由で清武選手はスタメンを外れています。
おそらく真っ向からいけばもっとやられていたと思われます。
ゲッツェ選手の初出場。
また、チアゴ・アルカンタラもさらっとスタメン固定ですねこれは。
と思ったらチアゴは負傷退場してしまいました。
リベリーとロッベンが1点ずつ決めています。
珍しくリベリーがヘッドで決めています。ブンデスでは初のようです。
◆マインツ対ヴォルフスブルク 2-0
岡崎選手は1トップで出場しています。
決定機を外してしまったのが残念でした。
ちょうどドラクスラーの縦パスにクレメンスとサライが抜け出し、最後にサライが外してしまったのと同じような位置からの同じような外し方でした。
しかしマインツ強いですね。
ヴォルフスは後半19分にグスタボがイエロー2枚で退場しています。
後半39分に長谷部選手をやっとピッチ上に見ることができました。
次節はグスタボを欠きまsすが、長谷部が出場できるかは微妙なところといえそう。
3節を終え、全勝チームはドルトムント、レバークーゼン、バイエルン、マインツの4チームだけとなっています。
ハノーファーはこれまで、第1節は2-0でヴォルフスブルク(最終的にはヴォルフスは9人で戦っていました)に勝利し、前節はアウェイでボルシアMGに3-0で敗れています。
内田篤人は大事をとりハノーファーに同行していません。右SBはホークラントが務めています。
中盤の底は左からジョーンズ、ノイシュテッター。そしてトップ下にゴレツカ。
左SHにドラクスラーが置かれ、酒井宏樹とマッチアップすることになります。
反対のSHはクレメンス。そして1トップにサライという布陣です。
注目は、ファルファンを怪我で欠くことから、SHをどうするか、という点にあったと思います。
中2日なのでスタミナ的な問題でマイヤーを起用するとは思えませんでした。
かといってバルネッタをスタメン起用するのも想像できないところでした。
そうだとすると、ドラクスラーを左SHとしてゴレツカをトップ下でいくことが考えられます。
おそらくこの予想は当たっていたのですが、前半の15分にこのプランは崩れ、元のフォーメーションは把握できませんでした。
前半15分、縦パスに抜け出したセネガル代表ディウフを、ホークラントとヘーヴェデスが追います。
そこで、スライディングしたヘーヴェデスは、足にいってしまい一発レッド。
これによって得たPKで先制されてしまいました。
最悪の展開ですね。
ケラー監督は選手を入れ替えない選択をしました。
前半40分にゴレツカを下げてサンタナをCBとして投入します。
しかし、その少し後、CKをきっかけとした混戦で前半終了間際に追加点を入れられています。
ディウフをつかまえることができず、フリーでヘッドを決められてしまいました。
後半10分にはサライが1点を返します。
右サイド高い位置でのフリースローを受け取ったクレメンスがクロスを上げます。
これをノイシュテッターが胸で前に落とし、これをサライが決めました。
この後、相手の退場もあり、決定機をつくりつつも、追いつくことはできませんでした。
最終的にはフクスまでイエロー2枚で退場していました。
ドラクスラーがなだめているシーンは「おお!」って思わされました。
★★★
◆ドルトムント対ブレーメン 1-0
1-0で連勝中のブレーメンを、ドルトムントはレヴァンドフスキの1点により下しています。
12年ぶりの開幕3連勝だとか。
◆ヘルタ対ハンブルガーSV 1-0
細貝選手がボランチでフル出場し、試合も勝利しています。
◆バイエルン対ニュルンベルク 2-0
守備的にいくという戦術的理由で清武選手はスタメンを外れています。
おそらく真っ向からいけばもっとやられていたと思われます。
ゲッツェ選手の初出場。
また、チアゴ・アルカンタラもさらっとスタメン固定ですねこれは。
と思ったらチアゴは負傷退場してしまいました。
リベリーとロッベンが1点ずつ決めています。
珍しくリベリーがヘッドで決めています。ブンデスでは初のようです。
◆マインツ対ヴォルフスブルク 2-0
岡崎選手は1トップで出場しています。
決定機を外してしまったのが残念でした。
ちょうどドラクスラーの縦パスにクレメンスとサライが抜け出し、最後にサライが外してしまったのと同じような位置からの同じような外し方でした。
しかしマインツ強いですね。
ヴォルフスは後半19分にグスタボがイエロー2枚で退場しています。
後半39分に長谷部選手をやっとピッチ上に見ることができました。
次節はグスタボを欠きまsすが、長谷部が出場できるかは微妙なところといえそう。
3節を終え、全勝チームはドルトムント、レバークーゼン、バイエルン、マインツの4チームだけとなっています。
2013年8月23日金曜日
シャルケ(CLプレーオフPAOK戦)のこと
CLが始まっています。
CLは、まず予選の3回戦があり、この勝者を加えたチームでプレーオフを行います。
このプレーオフの勝者10チームが加わった32チームで、グループステージを戦います。
グループステージは8つのグループに4チームずつが振り分けられ争います。
各グループの1位と2位の16チームが決勝トーナメントへ進みます。
3位チームはELの決勝トーナメントへ割り込みます(ELはCLの下位互換みたいなやつです)。
そして、昨年ブンデス4位のシャルケはプレーオフからの参加となります。
(3位以上のチームはグループステージからの参加となります。)
シャルケのCLプレーオフの対戦相手は当初、ウクライナのメタリストというチームでした。
しかし、メタリストは過去の八百長関与によって、UEFA主催のクラブ大会についての出場資格を剥奪されました。
そこで、シャルケの対戦相手はこのメタリストにCL予備予選3回戦で敗戦したギリシャのPAOKに変更されています。
これが決まったのが14日。
PAOKの監督は昨年12月までシャルケの監督をしていたステフェンス監督です。運命的な再会です。
もっとも、チーム情報的には(スカウティングですね)シャルケが不利になりそうな相手であるといえます。
★★★
そして21日にシャルケのホームでファーストレグが行われました(セカンドレグは27日にPAOKのホームで行われます)。
先の試合で怪我をしたフンテラールに代わり、サライが1トップを務めました。
そして、左SHには17歳のマックス・マイアーが起用されています。
試合開始から、ほとんどシャルケがボールを保持し攻め立てていきます。
内田選手も多くの時間で高い位置をとり、左SBのフクスも高く上がる場面が多くみられました。
パス等の技術的にも明らかに実力に差が感じられます。
しかし、前半に決められた得点は1点にとどまりました。
フクスがドラクスラーに折り返し、シュート。このこぼれ球をサライがファルファンに送り、ファルファンが見事に流し込んだ。
このゴール自体は素晴らしかったです。しかし、この1点にとどまりました。
問題だと思われたのが、相手の数少ないチャンスがいずれも危険な場面となったことです。
前半にPAOKに訪れたチャンスは、非常に少なかったです。
審判に二度ほどパスカットされそうになりましたが、特段の連携ミスなくシャルケが試合を支配していました。
しかし、カウンターやCKのチャンスはどれも決められてもおかしくありませんでした。
とりわけCKの守備はそろそろやばいです。確実に弱点だと認識されています。
また、右を使って攻める場合に、内田篤人が出し所を探して止まってしまう場面がかなり見れました。
ウクライナ戦でも同様の状態で仕方なく下がり目にパスを出してカットされていましたが、この試合でもカットを受けていました。
7月28日のやべっちFCのインタビューで内田選手は、パスの出し所がないときに無理に前にいこうとしてとられてしまうことが多いことを話していました。
そのことを本田選手にも指摘された、と。「無理だったらターンを覚えろ。やりなおせ。」と言われたと話していました。
「そういうのはラ―ムとかがすごい上手いです。見てても、ボールとられそうでとられないし。」
「僕それがまだぜんぜんできないので、これからしっかりやらないと」と語っています。
おそらくこのこともあって前につっかかろうとしていないのだと思いますが、ここでのパスミスが多いのです。
これは受け手の問題なのか出し手である内田選手の問題なのかは分かりませんが、もったいなく感じてしまいます。
ラ―ムは、リズムを崩さずに縦へ速く突破しようとして(あるいは突破するフリをして)相手の陣形を乱して、突然切り返して左後方にパスを出すのが上手いです。
そんなことができたら世界最高峰のSBになってしまいますが、期待したいです。
他方で、最新号のNUMBERで語っていた「自分のところで味方を休ませたい」という意識が実現されたシーンが見られました。
もともとシャルケでは内田選手がボールを受け取って前を向くと周囲が走り出す、というシーンが見られましたが、低い位置でボールをキープしてリズムをつくっているシーンがこの試合では見られました。
ちなみに、長友選手は同じくやべっちFCのインタビューで、現状では自分より上だと思うSBとしてダニエウ・アウべス、アシュリーコール、マルセロの三人を挙げていました。
スピード、運動量、積極的な攻撃参加、といった身体的な特徴により輝くSBですね。
身体能力型のSBと技術やサッカーIQ型のSBがいて、日本代表は非常にバランスが良いです。
これを活かした戦術として、「左でつくり、右でしとめる」というものがザックジャパンでは採用されているのでしょう。
前半のボール保持率はシャルケが70%。余裕のある展開で折り返しました。
後半もボールを保持しつつも攻めあぐねていると、後半28分。やられました。
左サイドから中央に切れ込んだストフがミドルシュートを決めます。
猛然と中央にドリブルし、シュートコースのないまま右隅にミドルシュートをしとめました。
ニアに選手が走り込んでいたのでGKはゴール左隅から動くことができず、中央にもPAOKの選手は詰めていました。
確かに人数は足りていましたが、シュートを選択しそれを仕留めたストフがすごかったというほかありません。
そしてシャルケが猛攻を開始するのですが、結局決まらずアウェイゴールを取られ分けてしまいました。さらにファルファンが怪我で退場しています。
後半24分に17歳のマイアーとの交代で入った22歳のクレメンスは、随所で技術を見せつつも、焦れてかなり遠い距離からのシュートを豪快にふかしてしまうシーンを見せてしまっています。また、同点に追いつかれた後にヘーガーに替え投入されたゴレツカ。イケメンで落ち着いたプレーをしますが、チームの空気を変えるには若すぎるのかもしれません。
ドラクスラー含め、シャルケは若手ドイツ代表のホープが揃っているチームになっているのですけどね。
次は27日にギリシャでセカンドレグがあります。なんとか勝ってほしいところです。
CLは、まず予選の3回戦があり、この勝者を加えたチームでプレーオフを行います。
このプレーオフの勝者10チームが加わった32チームで、グループステージを戦います。
グループステージは8つのグループに4チームずつが振り分けられ争います。
各グループの1位と2位の16チームが決勝トーナメントへ進みます。
3位チームはELの決勝トーナメントへ割り込みます(ELはCLの下位互換みたいなやつです)。
そして、昨年ブンデス4位のシャルケはプレーオフからの参加となります。
(3位以上のチームはグループステージからの参加となります。)
シャルケのCLプレーオフの対戦相手は当初、ウクライナのメタリストというチームでした。
しかし、メタリストは過去の八百長関与によって、UEFA主催のクラブ大会についての出場資格を剥奪されました。
そこで、シャルケの対戦相手はこのメタリストにCL予備予選3回戦で敗戦したギリシャのPAOKに変更されています。
これが決まったのが14日。
PAOKの監督は昨年12月までシャルケの監督をしていたステフェンス監督です。運命的な再会です。
もっとも、チーム情報的には(スカウティングですね)シャルケが不利になりそうな相手であるといえます。
★★★
そして21日にシャルケのホームでファーストレグが行われました(セカンドレグは27日にPAOKのホームで行われます)。
先の試合で怪我をしたフンテラールに代わり、サライが1トップを務めました。
そして、左SHには17歳のマックス・マイアーが起用されています。
試合開始から、ほとんどシャルケがボールを保持し攻め立てていきます。
内田選手も多くの時間で高い位置をとり、左SBのフクスも高く上がる場面が多くみられました。
パス等の技術的にも明らかに実力に差が感じられます。
しかし、前半に決められた得点は1点にとどまりました。
フクスがドラクスラーに折り返し、シュート。このこぼれ球をサライがファルファンに送り、ファルファンが見事に流し込んだ。
このゴール自体は素晴らしかったです。しかし、この1点にとどまりました。
問題だと思われたのが、相手の数少ないチャンスがいずれも危険な場面となったことです。
前半にPAOKに訪れたチャンスは、非常に少なかったです。
審判に二度ほどパスカットされそうになりましたが、特段の連携ミスなくシャルケが試合を支配していました。
しかし、カウンターやCKのチャンスはどれも決められてもおかしくありませんでした。
とりわけCKの守備はそろそろやばいです。確実に弱点だと認識されています。
また、右を使って攻める場合に、内田篤人が出し所を探して止まってしまう場面がかなり見れました。
ウクライナ戦でも同様の状態で仕方なく下がり目にパスを出してカットされていましたが、この試合でもカットを受けていました。
7月28日のやべっちFCのインタビューで内田選手は、パスの出し所がないときに無理に前にいこうとしてとられてしまうことが多いことを話していました。
そのことを本田選手にも指摘された、と。「無理だったらターンを覚えろ。やりなおせ。」と言われたと話していました。
「そういうのはラ―ムとかがすごい上手いです。見てても、ボールとられそうでとられないし。」
「僕それがまだぜんぜんできないので、これからしっかりやらないと」と語っています。
おそらくこのこともあって前につっかかろうとしていないのだと思いますが、ここでのパスミスが多いのです。
これは受け手の問題なのか出し手である内田選手の問題なのかは分かりませんが、もったいなく感じてしまいます。
ラ―ムは、リズムを崩さずに縦へ速く突破しようとして(あるいは突破するフリをして)相手の陣形を乱して、突然切り返して左後方にパスを出すのが上手いです。
そんなことができたら世界最高峰のSBになってしまいますが、期待したいです。
他方で、最新号のNUMBERで語っていた「自分のところで味方を休ませたい」という意識が実現されたシーンが見られました。
もともとシャルケでは内田選手がボールを受け取って前を向くと周囲が走り出す、というシーンが見られましたが、低い位置でボールをキープしてリズムをつくっているシーンがこの試合では見られました。
ちなみに、長友選手は同じくやべっちFCのインタビューで、現状では自分より上だと思うSBとしてダニエウ・アウべス、アシュリーコール、マルセロの三人を挙げていました。
スピード、運動量、積極的な攻撃参加、といった身体的な特徴により輝くSBですね。
身体能力型のSBと技術やサッカーIQ型のSBがいて、日本代表は非常にバランスが良いです。
これを活かした戦術として、「左でつくり、右でしとめる」というものがザックジャパンでは採用されているのでしょう。
前半のボール保持率はシャルケが70%。余裕のある展開で折り返しました。
後半もボールを保持しつつも攻めあぐねていると、後半28分。やられました。
左サイドから中央に切れ込んだストフがミドルシュートを決めます。
猛然と中央にドリブルし、シュートコースのないまま右隅にミドルシュートをしとめました。
ニアに選手が走り込んでいたのでGKはゴール左隅から動くことができず、中央にもPAOKの選手は詰めていました。
確かに人数は足りていましたが、シュートを選択しそれを仕留めたストフがすごかったというほかありません。
そしてシャルケが猛攻を開始するのですが、結局決まらずアウェイゴールを取られ分けてしまいました。さらにファルファンが怪我で退場しています。
後半24分に17歳のマイアーとの交代で入った22歳のクレメンスは、随所で技術を見せつつも、焦れてかなり遠い距離からのシュートを豪快にふかしてしまうシーンを見せてしまっています。また、同点に追いつかれた後にヘーガーに替え投入されたゴレツカ。イケメンで落ち着いたプレーをしますが、チームの空気を変えるには若すぎるのかもしれません。
ドラクスラー含め、シャルケは若手ドイツ代表のホープが揃っているチームになっているのですけどね。
次は27日にギリシャでセカンドレグがあります。なんとか勝ってほしいところです。
2013年8月18日日曜日
シャルケ(第2節ヴォルフスブルク戦)のこと
第2節が行われた。
シャルケ側の前節との変更点は、まず、CBがマティプではなくフェリペ・サンタナだという点だ。
全節やらかしてしまったマティプは控えに回され、サンタナがスタメンに置かれている。
今季からヘーベデスは昨季と逆の左側のCBで固定のようで、サンタナは右側のCBとしてマティプと入れ替わっている。
そしてボランチはノイシュテッターではなくヘーガーが起用されている。
怪我で代表を見送ったドラクスラーは大丈夫そうだ。
対するヴォルフスブルクは、バイエルンから移籍したグスタボがいきなりスタメン。
そしてトレーシュが右SBに置かれている。
トレーシュは2011年にシュトゥットガルトからヴォルフスに移籍した選手だ。
当時はドイツ代表にも呼ばれており同時期にシャルケも獲得を狙っていた選手である。
彼は基本的にボランチをやりつつ右SBもやるという選手であり、長谷部と非常に似た役割を担う。
グスタボが加わり、トレーシュが序列の上にきていることは、長谷部にとってかなり厳しい状況であろう。
グスタボは左右に動いてビルドアップに加わり、連携も問題なさそうだ。
そして、パワーと技術のあるFKや競り合いの強さをCBナウドが見せてくる。
ジエゴもジエゴ的な動きをみせてくる。
第1節ではハノーファーに2-0で負けてるからチームはそこまで出来上がっていないだろう。
そう思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。明らかにシャルケは押されている。
そこで調べると、前節のヴォルフスブルクは9人で試合をしていたようだ。
試合は動かず後半に。
CK、先週と同じような形で失点。
…と書いたところまでで、中継を見ながらのブログ作成は終了されている。
4-0でシャルケは敗北した。
★★★
その他のメモ。
ドルトムントは昇格チームのアイントラハト・ブラウンシュヴァイクを2-1で下しています。
途中から出場したホフマンという謎の青年が活躍していました。7番を背負う謎の青年です。
彼は、2011年にドルトムントに加入し、今年の4月にトップデビューを果たした選手です。
プレシーズンマッチでの評価がよく、点の動かない後半23分に大きな期待とともに投入されています。
そして彼は期待に応え1点目を奪い、さらにPKをとり、これをロイスが決めました。
バイエルンは前半13分のマンジュキッチのゴールを守り切り、地味な展開で、アウェーでフランクフルトに0-1の勝利を収めています。
前節で起用のなかったシャキリがスタメン起用され、同様に起用のなかったチアゴも、そのシャキリとの交代で後半20分に投入されています。
あれ、ハビ・マルティネスは…。
ヘルタは、試合開始直後、「PA内でパスに反応し飛び込みGKと競り合う細貝」という貴重なシーンがありました。そこに象徴されるように、かなり前目でも動きまわっていました。ちらっとみたけどのびのびやっていて、「あれ、こんな選手だったっけ」と思うくらいのそれでした。
そのヘルタの対戦相手であるホームのニュルンベルクは、1-2で迎えた後半44分にFKのチャンスを得ました。そして清武が素晴らしいFKを決め、引き分けに持ち込みました。
マインツの岡崎はフル出場。得点はないものの、いまや驚かなくなったキレのいいドリブルなども披露しました。また、チームメイトともうまくやれているようです。
シャルケ側の前節との変更点は、まず、CBがマティプではなくフェリペ・サンタナだという点だ。
全節やらかしてしまったマティプは控えに回され、サンタナがスタメンに置かれている。
今季からヘーベデスは昨季と逆の左側のCBで固定のようで、サンタナは右側のCBとしてマティプと入れ替わっている。
そしてボランチはノイシュテッターではなくヘーガーが起用されている。
怪我で代表を見送ったドラクスラーは大丈夫そうだ。
対するヴォルフスブルクは、バイエルンから移籍したグスタボがいきなりスタメン。
そしてトレーシュが右SBに置かれている。
トレーシュは2011年にシュトゥットガルトからヴォルフスに移籍した選手だ。
当時はドイツ代表にも呼ばれており同時期にシャルケも獲得を狙っていた選手である。
彼は基本的にボランチをやりつつ右SBもやるという選手であり、長谷部と非常に似た役割を担う。
グスタボが加わり、トレーシュが序列の上にきていることは、長谷部にとってかなり厳しい状況であろう。
グスタボは左右に動いてビルドアップに加わり、連携も問題なさそうだ。
そして、パワーと技術のあるFKや競り合いの強さをCBナウドが見せてくる。
ジエゴもジエゴ的な動きをみせてくる。
第1節ではハノーファーに2-0で負けてるからチームはそこまで出来上がっていないだろう。
そう思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。明らかにシャルケは押されている。
そこで調べると、前節のヴォルフスブルクは9人で試合をしていたようだ。
試合は動かず後半に。
CK、先週と同じような形で失点。
…と書いたところまでで、中継を見ながらのブログ作成は終了されている。
4-0でシャルケは敗北した。
★★★
その他のメモ。
ドルトムントは昇格チームのアイントラハト・ブラウンシュヴァイクを2-1で下しています。
途中から出場したホフマンという謎の青年が活躍していました。7番を背負う謎の青年です。
彼は、2011年にドルトムントに加入し、今年の4月にトップデビューを果たした選手です。
プレシーズンマッチでの評価がよく、点の動かない後半23分に大きな期待とともに投入されています。
そして彼は期待に応え1点目を奪い、さらにPKをとり、これをロイスが決めました。
バイエルンは前半13分のマンジュキッチのゴールを守り切り、地味な展開で、アウェーでフランクフルトに0-1の勝利を収めています。
前節で起用のなかったシャキリがスタメン起用され、同様に起用のなかったチアゴも、そのシャキリとの交代で後半20分に投入されています。
あれ、ハビ・マルティネスは…。
ヘルタは、試合開始直後、「PA内でパスに反応し飛び込みGKと競り合う細貝」という貴重なシーンがありました。そこに象徴されるように、かなり前目でも動きまわっていました。ちらっとみたけどのびのびやっていて、「あれ、こんな選手だったっけ」と思うくらいのそれでした。
そのヘルタの対戦相手であるホームのニュルンベルクは、1-2で迎えた後半44分にFKのチャンスを得ました。そして清武が素晴らしいFKを決め、引き分けに持ち込みました。
マインツの岡崎はフル出場。得点はないものの、いまや驚かなくなったキレのいいドリブルなども披露しました。また、チームメイトともうまくやれているようです。
2013年8月14日水曜日
2013年8月12日月曜日
シャルケ(第1節ハンブルガーSV戦)のこと
ついにブンデスリーガ13/14シーズンが開幕しました。
バイエルンは3-1でボルシアMGを下し、ドルトムントはスタメン起用されたオーバメヤンのハットトリックもあり4-0でアウグスブルクを圧倒し、2強はその力を示しています。
また、日本人は、移籍組がいきなり活躍を見せました。
ヘルタとフランクフルトの試合では細貝選手がボランチで先発出場しました。
長短のパスを散らし躍動した細貝選手の活躍もあり、ヘルタは6-1とフランクフルトをチンチンにしています。「チンチンにする」というのはいつの間にかサッカー用語みたいになっていますが、ガンバ時代の安田理大選手がよく使っていたイメージです。また、細貝選手はブンデス公式HPによるこの試合のMOMを獲得しています。
フランクフルトのGKは昨季のシャルケ戦でもとんでもないセーブを連発していたケヴィン・トラップ(ドイツ代表の第三GKでもあります)。6失点、完全に守備が崩壊しています。トラップは、ドイツ紙キッカーによる昨季のベストイレブンに、ノイアーを押さえて選ばれています(内田選手がラ―ムを押さえて選出されてしまい、本人含め微妙な反応をするほかなかったファン投票によるベストイレブンとは別のやつです)。ちなみにドイツ代表の第二GKはこのあとシャルケが対戦するハンブルガーSVのアドラーです。
そして、シャルケの試合の直前には、マインツとシュトゥットガルトの試合が行われています。
この試合で岡崎選手は、古巣相手に得点を決めました。数人に囲まれつつも中盤でボールをキープし味方に預ける岡崎。そのままゴールへ走る岡崎。ロングボールをエリア内で受ける岡崎。ザキオカターンをする岡崎。左足でDFの股下を通しゴールを決める岡崎。マインツ背番号23オカザキ。直後にCKに対しヘディングでゴールの危機を救った岡崎。オカザキ。オカザキ!オカザーキ!
この試合を見ても感じましたが、ドイツのGKの質はかなり高いです。わりと守備が崩壊めでもロースコアにとどまるのは、GKが最後に帳尻を合わせているからです。
ちなみに、この夏にシャルケからマインツへ移籍したクリストフ・モリッツ選手と、同じく今夏にドルトムントからシュツットガルトへレンタルされたモリッツ・ライトナー選手は、ともにこの試合に出場していますが、同じ時間にピッチに立つことはありませんでした。姓にも名にもなる「Moritz」の正体は掴めませんでした。
★★★
第1節、シャルケはハンブルガーSVをホームで迎えた。
昨季は11月のアウェイで3-1で敗れているが、4月末に行われたホームでの対戦ではフンテラールのハットトリックもあり4-1で下している。特段の苦手意識はない相手である。
ハンブルガーSVは、以前も述べた通り、先月、30分ハーフで行われるテレコムカップで0-4でバイエルンにボコボコにされている。
また、先月末のテストマッチで2部所属のドレスデンの対戦でも0-4で大敗している。これに関し、ロッカールームでSDのクロイツァーさんが激おこだったという情報が入っている。その記事のタイトルは『HSV強化部長:「こっちもグッチ、あっちもグッチ!」』という臨場感のあるもののだった。調整がうまくいっていないのか、それともこの説教でチーム状態が上向いたか、それは不明である。
ちなみにシャルケの昨年の第1節は、アウェーでハノーファーと2-2で分けている。
キックオフ。
試合は早々に動いた。カウンターでドラクスラーがフンテラールにパスを送る。GKの位置と体重のかけ方を見極めたフンテラールが冷静に押し込んでシャルケが先制する。
しかし、マティプのハンドによりすぐにPKで返される。PKの判断に抗議をせず悲しそうな顔をする3日前に21歳になったばかりのマティプ。キッカーはいつの間にかハンブルガーに帰っていたファンデルファールトだった。これが決まり悲しそうな顔をするマティプ…。
足を踏まれたドラクスラーは下げられ、1つ年下の18歳レオン・ゴレツカと交代。水曜のパラグアイ戦のドイツ代表メンバー21人のうちに、ドラクスラーは最年少で入っている。大事に至らなければいいが。
その交代の直後、ロングフィード。からのクロス。からのヘッド。一瞬のカウンターで再び失点。
焦る時間が続く。しかし前半終了直前、CKのチャンス。ショートコーナーを選択しクロスが上がる。これをフンテラールが押し込む。自信に満ちたオーラがある。今季はいけそうか。サライが来たことによって奮起したんですかね。フン起したんですかね。
前半が閉じられる。先制直後のPKやドラクスラーの負傷交代といったアクシデントもありつつ、前半の内に同点に返しておけたことは大きい。
後半の立ち上がり早々、ハンブルガーにCKのチャンス。これをファーで合わせられ逆転されてしまう。
CKの守備は、背の高い選手は、ニアにブロックをつくるか直接相手選手のマークにつく役割を任される。他方で背の低い選手は、ファーサイドのゴールライン上に立ち、空間を塞ぐ役割を任されることが多い。今回も内田選手はその位置にいた。ファーでマティプが競り負け、ヘディングで合わせられてしまった。ボールは内田選手とGKのヒルデブラント選手の頭上を超えていった。
ちなみに先の試合でヘディングでスーパークリアした岡崎選手もこのファーの空間を塞ぐ位置にいた。ちなみに同様の理由で、CKやFKのときに最後列中央センターラインの少し前に一人で構える役割も、内田は任されている。
ノイシュテッターに代えアダム・サライ投入。バタバタする。落ち着く。バタバタする。落ち着く。完全に引かれてしまい、なかなか崩せない。無理めな態勢での内田のフンテラールへのクロスや、遠目でのミドルの選択など、リズムに変化をつけたところでチャンスは生まれていく。
そんな中、クレメンスがミドルを放つ。シュートコースはほとんどなく、DFの人数も相手の方が上回りブロックがつくられていた。とはいえリズムに変化をつけるという点では悪くない選択であろう。しかし、やはりシュートコースはなく、シュートはGKの真正面。GKアドラーは両腕でボールをつかむ。しかしボールはこぼれる!そこをサライがつめる!押し込む!同点に持ち込むことに成功した。
シュートで終わることも大切だ。Jリーグを2連覇した監督でもある松木さんが常日頃「シュートで終わる意識!シュートで終わる意識!」とおっしゃっているように。シュート意識は、このように何かしらのアクシデントで点が入る可能性があるため、攻撃のための意識という側面もある。他方で、守備のためでもある。とりわけ前掛かりになっているときは、後ろの人数を確保するためにもシュートで終わることが必要になる。数年前から、脳内松木さんが叫ぶことが多くなった。
その後はお互いにチャンスが生じる。フクスのFK。いい感じにエリア内でこぼれた。マティプが受け取る。ゴールは目の前。シュートコースもある。ボールは左にそれる…。マティプの悲しそうな顔…。
昨年も第1節は分けた。しかしその後2連勝している。立て直すことを期待したい!
★★★
試合後、ドラクスラーの代表離脱が報じられている。全治等は不明である。心配だ。。
バイエルンは3-1でボルシアMGを下し、ドルトムントはスタメン起用されたオーバメヤンのハットトリックもあり4-0でアウグスブルクを圧倒し、2強はその力を示しています。
また、日本人は、移籍組がいきなり活躍を見せました。
ヘルタとフランクフルトの試合では細貝選手がボランチで先発出場しました。
長短のパスを散らし躍動した細貝選手の活躍もあり、ヘルタは6-1とフランクフルトをチンチンにしています。「チンチンにする」というのはいつの間にかサッカー用語みたいになっていますが、ガンバ時代の安田理大選手がよく使っていたイメージです。また、細貝選手はブンデス公式HPによるこの試合のMOMを獲得しています。
フランクフルトのGKは昨季のシャルケ戦でもとんでもないセーブを連発していたケヴィン・トラップ(ドイツ代表の第三GKでもあります)。6失点、完全に守備が崩壊しています。トラップは、ドイツ紙キッカーによる昨季のベストイレブンに、ノイアーを押さえて選ばれています(内田選手がラ―ムを押さえて選出されてしまい、本人含め微妙な反応をするほかなかったファン投票によるベストイレブンとは別のやつです)。ちなみにドイツ代表の第二GKはこのあとシャルケが対戦するハンブルガーSVのアドラーです。
そして、シャルケの試合の直前には、マインツとシュトゥットガルトの試合が行われています。
この試合で岡崎選手は、古巣相手に得点を決めました。数人に囲まれつつも中盤でボールをキープし味方に預ける岡崎。そのままゴールへ走る岡崎。ロングボールをエリア内で受ける岡崎。ザキオカターンをする岡崎。左足でDFの股下を通しゴールを決める岡崎。マインツ背番号23オカザキ。直後にCKに対しヘディングでゴールの危機を救った岡崎。オカザキ。オカザキ!オカザーキ!
この試合を見ても感じましたが、ドイツのGKの質はかなり高いです。わりと守備が崩壊めでもロースコアにとどまるのは、GKが最後に帳尻を合わせているからです。
ちなみに、この夏にシャルケからマインツへ移籍したクリストフ・モリッツ選手と、同じく今夏にドルトムントからシュツットガルトへレンタルされたモリッツ・ライトナー選手は、ともにこの試合に出場していますが、同じ時間にピッチに立つことはありませんでした。姓にも名にもなる「Moritz」の正体は掴めませんでした。
★★★
第1節、シャルケはハンブルガーSVをホームで迎えた。
昨季は11月のアウェイで3-1で敗れているが、4月末に行われたホームでの対戦ではフンテラールのハットトリックもあり4-1で下している。特段の苦手意識はない相手である。
ハンブルガーSVは、以前も述べた通り、先月、30分ハーフで行われるテレコムカップで0-4でバイエルンにボコボコにされている。
また、先月末のテストマッチで2部所属のドレスデンの対戦でも0-4で大敗している。これに関し、ロッカールームでSDのクロイツァーさんが激おこだったという情報が入っている。その記事のタイトルは『HSV強化部長:「こっちもグッチ、あっちもグッチ!」』という臨場感のあるもののだった。調整がうまくいっていないのか、それともこの説教でチーム状態が上向いたか、それは不明である。
ちなみにシャルケの昨年の第1節は、アウェーでハノーファーと2-2で分けている。
キックオフ。
試合は早々に動いた。カウンターでドラクスラーがフンテラールにパスを送る。GKの位置と体重のかけ方を見極めたフンテラールが冷静に押し込んでシャルケが先制する。
しかし、マティプのハンドによりすぐにPKで返される。PKの判断に抗議をせず悲しそうな顔をする3日前に21歳になったばかりのマティプ。キッカーはいつの間にかハンブルガーに帰っていたファンデルファールトだった。これが決まり悲しそうな顔をするマティプ…。
足を踏まれたドラクスラーは下げられ、1つ年下の18歳レオン・ゴレツカと交代。水曜のパラグアイ戦のドイツ代表メンバー21人のうちに、ドラクスラーは最年少で入っている。大事に至らなければいいが。
その交代の直後、ロングフィード。からのクロス。からのヘッド。一瞬のカウンターで再び失点。
焦る時間が続く。しかし前半終了直前、CKのチャンス。ショートコーナーを選択しクロスが上がる。これをフンテラールが押し込む。自信に満ちたオーラがある。今季はいけそうか。サライが来たことによって奮起したんですかね。フン起したんですかね。
前半が閉じられる。先制直後のPKやドラクスラーの負傷交代といったアクシデントもありつつ、前半の内に同点に返しておけたことは大きい。
後半の立ち上がり早々、ハンブルガーにCKのチャンス。これをファーで合わせられ逆転されてしまう。
CKの守備は、背の高い選手は、ニアにブロックをつくるか直接相手選手のマークにつく役割を任される。他方で背の低い選手は、ファーサイドのゴールライン上に立ち、空間を塞ぐ役割を任されることが多い。今回も内田選手はその位置にいた。ファーでマティプが競り負け、ヘディングで合わせられてしまった。ボールは内田選手とGKのヒルデブラント選手の頭上を超えていった。
ちなみに先の試合でヘディングでスーパークリアした岡崎選手もこのファーの空間を塞ぐ位置にいた。ちなみに同様の理由で、CKやFKのときに最後列中央センターラインの少し前に一人で構える役割も、内田は任されている。
ノイシュテッターに代えアダム・サライ投入。バタバタする。落ち着く。バタバタする。落ち着く。完全に引かれてしまい、なかなか崩せない。無理めな態勢での内田のフンテラールへのクロスや、遠目でのミドルの選択など、リズムに変化をつけたところでチャンスは生まれていく。
そんな中、クレメンスがミドルを放つ。シュートコースはほとんどなく、DFの人数も相手の方が上回りブロックがつくられていた。とはいえリズムに変化をつけるという点では悪くない選択であろう。しかし、やはりシュートコースはなく、シュートはGKの真正面。GKアドラーは両腕でボールをつかむ。しかしボールはこぼれる!そこをサライがつめる!押し込む!同点に持ち込むことに成功した。
シュートで終わることも大切だ。Jリーグを2連覇した監督でもある松木さんが常日頃「シュートで終わる意識!シュートで終わる意識!」とおっしゃっているように。シュート意識は、このように何かしらのアクシデントで点が入る可能性があるため、攻撃のための意識という側面もある。他方で、守備のためでもある。とりわけ前掛かりになっているときは、後ろの人数を確保するためにもシュートで終わることが必要になる。数年前から、脳内松木さんが叫ぶことが多くなった。
その後はお互いにチャンスが生じる。フクスのFK。いい感じにエリア内でこぼれた。マティプが受け取る。ゴールは目の前。シュートコースもある。ボールは左にそれる…。マティプの悲しそうな顔…。
昨年も第1節は分けた。しかしその後2連勝している。立て直すことを期待したい!
★★★
試合後、ドラクスラーの代表離脱が報じられている。全治等は不明である。心配だ。。
2013年8月10日土曜日
爆裂お父さんのこと
色々と騒がれている先の27時間テレビにおける「爆裂お父さん」の企画。
いくつかのことがすでに様々な場で指摘されているが、どれもピンとこない。仮に問題があるとすれば、そもそもAKB48が出演したことなのではないだろうか。
あのコーナーの趣旨はこうだったはずだ。すなわち、売れないアイドル(あるいは売れかけているアイドル)が、発売されるCDの宣伝のために登場する。そして、鍋を囲みトークをする。その中で、予め用意されたきっかけにより加藤さん扮する「爆裂お父さん」が怒り、ジャイアントスウィングがなされる。この「ジャイアントスウィングによる回転」と「CDの回転」とが掛けられて、加藤さんによりアイドルの身体が回転させられている間にだけ楽曲がかかり、それが宣伝となる。というものだ。
そのようにして、「酷い目にあったのに何故か心からお礼を言う」という倒錯した状況が現れるのだ。そこにシュールな笑いがあったのではなかったか。
このシュールさが笑える笑えない云々という指摘は、暴力の是非を問題とした場合には、論点がズレている。意味のある暴力ならアリで意味のない暴力ならナシ、とでもいうのだろうか。そう考えるのでなければ、暴力の是非において問題とされるべきは合意の有無であり、今回、合意は明らかに存在し暴力としては問題がないというほかない。加藤さんと彼女たちは、加害者と被害者という関係にあるのではなく、企画の表現主体という同一の立場にあるのだ。そこを理解できないのは、アイドルという存在にのめり込みすぎというものだろう。
とはいえ、違和感を残す放送であったことは間違いない。そして、問題や違和感の正体が暴力でないとすれば、どこにあるか。それはやはり、AKB48が爆裂お父さんに出演している、という部分だろう。
AKB48は売れないアイドルや売れかけているアイドルではない。ジャイアントスウィングやそれに類する暴力を受ける理由が企画の表面上存在していないのだ。
特番であることから、仮にAKB48の出演という違和感には目をつぶるとしても、決定的に問題がある箇所があった。それは、お台場合衆国のCMが途中で何度も配置され、CMにおいて難なく曲が流されていたということだ。これに関しては岡村さんも気になったようで、CM明けに「いまのはCMやからね」といった感じのフォローをしていた。これはさすがにまずいだろう。
なんであれ、彼女たちにはジャイアントスウィングによって宣伝を受ける理由がないのである。違和感の正体はここにあったのではないか。
★★★
AKB48は、一瞬の印象では価値を把握できないハイコンテクストなコンテンツであった。少なくとも私にとってはそうであった。しかし最近、ユーキャンのCMの子やめちゃイケの試験におけるバカの子といった、一瞬の印象で価値を把握できる子たちが売り出されており、一般視聴者もコストなく価値を享受できるようになっている印象がある。私見であるが、バカの子のかわいさは半端ない。確実に私の「かわいい」というイデアの水槽か出てきた存在である。いかなる修正も必要としない完全なる存在である。
いくつかのことがすでに様々な場で指摘されているが、どれもピンとこない。仮に問題があるとすれば、そもそもAKB48が出演したことなのではないだろうか。
あのコーナーの趣旨はこうだったはずだ。すなわち、売れないアイドル(あるいは売れかけているアイドル)が、発売されるCDの宣伝のために登場する。そして、鍋を囲みトークをする。その中で、予め用意されたきっかけにより加藤さん扮する「爆裂お父さん」が怒り、ジャイアントスウィングがなされる。この「ジャイアントスウィングによる回転」と「CDの回転」とが掛けられて、加藤さんによりアイドルの身体が回転させられている間にだけ楽曲がかかり、それが宣伝となる。というものだ。
そのようにして、「酷い目にあったのに何故か心からお礼を言う」という倒錯した状況が現れるのだ。そこにシュールな笑いがあったのではなかったか。
このシュールさが笑える笑えない云々という指摘は、暴力の是非を問題とした場合には、論点がズレている。意味のある暴力ならアリで意味のない暴力ならナシ、とでもいうのだろうか。そう考えるのでなければ、暴力の是非において問題とされるべきは合意の有無であり、今回、合意は明らかに存在し暴力としては問題がないというほかない。加藤さんと彼女たちは、加害者と被害者という関係にあるのではなく、企画の表現主体という同一の立場にあるのだ。そこを理解できないのは、アイドルという存在にのめり込みすぎというものだろう。
とはいえ、違和感を残す放送であったことは間違いない。そして、問題や違和感の正体が暴力でないとすれば、どこにあるか。それはやはり、AKB48が爆裂お父さんに出演している、という部分だろう。
AKB48は売れないアイドルや売れかけているアイドルではない。ジャイアントスウィングやそれに類する暴力を受ける理由が企画の表面上存在していないのだ。
特番であることから、仮にAKB48の出演という違和感には目をつぶるとしても、決定的に問題がある箇所があった。それは、お台場合衆国のCMが途中で何度も配置され、CMにおいて難なく曲が流されていたということだ。これに関しては岡村さんも気になったようで、CM明けに「いまのはCMやからね」といった感じのフォローをしていた。これはさすがにまずいだろう。
なんであれ、彼女たちにはジャイアントスウィングによって宣伝を受ける理由がないのである。違和感の正体はここにあったのではないか。
★★★
AKB48は、一瞬の印象では価値を把握できないハイコンテクストなコンテンツであった。少なくとも私にとってはそうであった。しかし最近、ユーキャンのCMの子やめちゃイケの試験におけるバカの子といった、一瞬の印象で価値を把握できる子たちが売り出されており、一般視聴者もコストなく価値を享受できるようになっている印象がある。私見であるが、バカの子のかわいさは半端ない。確実に私の「かわいい」というイデアの水槽か出てきた存在である。いかなる修正も必要としない完全なる存在である。
2013年8月7日水曜日
シャルケ(DFBポカール1回戦)のこと
本格的に夏ですね。13/14シーズンが始まりました。
★★★
週末のリーグ戦開幕に先立ち、DFBポカール1回戦の32試合が行われた。シャルケは8月5日に5部相当のリーグに所属するネッティンゲンと対戦している。
DFBポカールとは、ドイツカップとも呼ばれ、ブンデス1部と2部のクラブに加え3部の前シーズン上位4クラブ等が加わった64チームで競うカップ戦である(日本でいう天皇杯にあたる)。負ければ終わりの気の抜けないトーナメント戦(ノックアウトラウンドと呼ばれる)であり、1回戦では8月2日から5日の間に32試合が行われている。対戦相手は抽選で決められるが、1部所属チームは1回戦は下部のチームとあたる。なかなか波乱は起きないが、プレシャーなく気合十分の相手に足をすくわれることもなくはない(これも天皇杯と同様である)。今回でいえばブレーメンが3部のザールブリュッケンに3-1で敗れるなどということも起き、なかなか油断はできないものとなっている。
ネッティンゲンは、多くの場合ポカール1回戦がそうであるように、がんがんプレスをかけて気合い十分で立ち向かう下部チームであった。前半にはシャルケより多く決定機を迎える。対するシャルケ、気になる公式戦初戦は、フンテラールとサライを同時起用した2トップという布陣で迎えた。1トップでドラクスラーをトップ下とした場合に、バストスが抜けたため、左サイドの駒に不安を覚えたのかもしれない。
「左でつくり右でしとめる」というザックジャパンのようなチャレンジを繰り返すシャルケ。先制点はこのチャレンジが結実した形となった。昨シーズンは若手コラシナツに場所を奪われたフクスのクロスを、中央のサライがスルーし、ファーで受けたフンテラールがこれをダイレクトでゴールに沈めた。セットプレーを多くの場合任されてきたフクスの足元、サライの視野、フンテラールの決定力、という3人の良さがまさに現れたシーンだった。
後半になっても点差は1にとどまり、依然相手はいきいきとしていたことから、ヘーガーが下げられ、出場する予定のなかった内田が投入された(前日にスタッフから、コンフェデ等により合流が他のメンバーより遅れたことを理由に、起用されないことを告げられていたそうだ)。さらにサライをバルネッタと替え、フンテラール1トップでドラクスラーをトップ下とする布陣となった。やはり左サイドのバルネッタは若干心許ない。もっとも、器用さを有する故にSB起用までされてしまうバルネッタに対しては、長谷部や細貝に対するものと似た気持ちを覚えるので、個人的には応援している(バルネッタについての詳細は以前も述べた)。
相手選手に苛立つドラクスラーを内田がなだめるシーンもありつつ(内田がヘーベデスに審判に抗議にいくよう指示を出したところでTwitterのTLは盛り上がっていた)、そのドラクスラーはゴレツカと交代。そして終了間際18歳のゴレツカが猛ダッシュし、フンテラールとのワンツーで抜け出し素晴らしいゴールを決めて2点目。移籍後公式戦初ゴールとなるゴールが決まった。
はっきり言って苦戦してしまった。とはいえ、ここは柱の男のリーダーであるカーズ氏の哲学を思い起こすべきである。「勝てばよかろうなのだァァ」は、カップ戦に対する心構えでもあると言われている。悪い結果ではなかったといえよう。
日曜はいよいよ開幕戦、ハンブルガーSVとの試合。期待したい。
★★★
週末のリーグ戦開幕に先立ち、DFBポカール1回戦の32試合が行われた。シャルケは8月5日に5部相当のリーグに所属するネッティンゲンと対戦している。
DFBポカールとは、ドイツカップとも呼ばれ、ブンデス1部と2部のクラブに加え3部の前シーズン上位4クラブ等が加わった64チームで競うカップ戦である(日本でいう天皇杯にあたる)。負ければ終わりの気の抜けないトーナメント戦(ノックアウトラウンドと呼ばれる)であり、1回戦では8月2日から5日の間に32試合が行われている。対戦相手は抽選で決められるが、1部所属チームは1回戦は下部のチームとあたる。なかなか波乱は起きないが、プレシャーなく気合十分の相手に足をすくわれることもなくはない(これも天皇杯と同様である)。今回でいえばブレーメンが3部のザールブリュッケンに3-1で敗れるなどということも起き、なかなか油断はできないものとなっている。
ネッティンゲンは、多くの場合ポカール1回戦がそうであるように、がんがんプレスをかけて気合い十分で立ち向かう下部チームであった。前半にはシャルケより多く決定機を迎える。対するシャルケ、気になる公式戦初戦は、フンテラールとサライを同時起用した2トップという布陣で迎えた。1トップでドラクスラーをトップ下とした場合に、バストスが抜けたため、左サイドの駒に不安を覚えたのかもしれない。
「左でつくり右でしとめる」というザックジャパンのようなチャレンジを繰り返すシャルケ。先制点はこのチャレンジが結実した形となった。昨シーズンは若手コラシナツに場所を奪われたフクスのクロスを、中央のサライがスルーし、ファーで受けたフンテラールがこれをダイレクトでゴールに沈めた。セットプレーを多くの場合任されてきたフクスの足元、サライの視野、フンテラールの決定力、という3人の良さがまさに現れたシーンだった。
後半になっても点差は1にとどまり、依然相手はいきいきとしていたことから、ヘーガーが下げられ、出場する予定のなかった内田が投入された(前日にスタッフから、コンフェデ等により合流が他のメンバーより遅れたことを理由に、起用されないことを告げられていたそうだ)。さらにサライをバルネッタと替え、フンテラール1トップでドラクスラーをトップ下とする布陣となった。やはり左サイドのバルネッタは若干心許ない。もっとも、器用さを有する故にSB起用までされてしまうバルネッタに対しては、長谷部や細貝に対するものと似た気持ちを覚えるので、個人的には応援している(バルネッタについての詳細は以前も述べた)。
相手選手に苛立つドラクスラーを内田がなだめるシーンもありつつ(内田がヘーベデスに審判に抗議にいくよう指示を出したところでTwitterのTLは盛り上がっていた)、そのドラクスラーはゴレツカと交代。そして終了間際18歳のゴレツカが猛ダッシュし、フンテラールとのワンツーで抜け出し素晴らしいゴールを決めて2点目。移籍後公式戦初ゴールとなるゴールが決まった。
はっきり言って苦戦してしまった。とはいえ、ここは柱の男のリーダーであるカーズ氏の哲学を思い起こすべきである。「勝てばよかろうなのだァァ」は、カップ戦に対する心構えでもあると言われている。悪い結果ではなかったといえよう。
日曜はいよいよ開幕戦、ハンブルガーSVとの試合。期待したい。
2013年7月31日水曜日
7/7~7/31のサッカーのこと
★ブンデスリーガ
バイエルンに4年間在籍したドイツ代表マリオゴメスの、フィオレンティーナへの移籍が決まった。10-11にはリーグ得点王を獲得し、不動のレギュラーとして活躍してきたが、12-13シーズンには、移籍してきたマンジュキッチにスタメンを奪われた。しかし、途中出場においてもその優れた得点力を発揮し、バイエルンがCLを勝ちぬきつつリーグでも他を圧倒した力の一端を担った。また、昨季体制のラストマッチとなるドイツカップ決勝での物語として優れた活躍は以前も述べたところである。
基本的に「試合には入らずゴールだけを決める」という特徴ゆえに、監督がペップに交代した来季にはますます出番はないだろう。また、マンジュキッチだけでなくゲッツェもバイエルン入りしており、明らかにマリオが多すぎた。したがって移籍はやむを得ない。彼のイタリアでの活躍を期待したい。セリエの試合は、長友が出ているインテルの試合をたまに観るくらいだが、来季はもしかしたらさらに一人日本人も…。いずれにせよ、フィオレンティーナは昨季4位という高順位で終えている。マリオゴメスはセリエを盛り上げる人材となりうるだろう。
それとは逆に、チアゴ・アルカンタラがバルセロナからバイエルンに移籍してきた。監督の熱烈な希望であったことから、プレシーズンマッチの多くで起用されている。
プレシーズンマッチは多く行われたが、7/20.21に行われたテレコムカップ(4チームの大会である。30分ハーフという変則的な試合が行われる。)を取り上げよう。新体制で初のブンデス1部所属チーム同士の対戦となるので、プレシーズンマッチの中では比較的重要度が高めの試合となる。参加チームは、バイエルン、ハンブルガーSV、ボルシアMG、ドルトムントの4チーム。
バイエルンは、1戦目ハンブルガーSVを4-0で下した。そして、翌日ドルトムントを下したボルシアMGを5-1で制し、優勝している(意外にもバイエルンはこれがテレコムカップ初優勝だそうだ)。30分ハーフにおいてもこの得点力…。中日のない連戦であるにも関わらずこの得点力…。そして得点者に偏りがないところが恐ろしい。この大会においても、チアゴは中盤の底で効果的な動きを見せ、ボルシアMG戦では移籍後初ゴールを記録している。もっとも、アンカーでの起用は守備面で不評であるようだ。ただし、ミュラーがCF起用され、ラ―ムが中盤起用されるなどしており、フォーメーションは定まっていないようである。実際、ペップはボルシア戦の後半、チアゴのパスミスを見かね、クロースとその位置を入れ替えている。ちなみに、クロースの怪我でスタメンに舞い戻り、そのまま好調を維持しているロッベンは、ペップの就任が決まった際に退団濃厚と噂されていたが、新体制でも場所を得られそうだ。
そんなバイエルンであるが、7/27に行われたドイツ・スーパーカップでは、ドルトムントに敗れている(以前も述べた)。ここでもチアゴのアンカー起用は不評だった(あれ、やはりしつこくアンカー起用されているな…)。このドルトムントの勝利は、リーグ全体において良い結果であろう。ブンデスリーガをつまらないリーグにさせないためにも、対抗馬であるドルトムント(移籍についていえば、若手ドイツ代表のライトナーについて、契約を4年延長しつつシュトゥットガルトに2年間の期限付き移籍をさせた)とシャルケの活躍に期待したい。
★プレミアリーグ
また新たなベルギー代表がプレミア入りした。トゥエンテからシャドリがスパーズに移籍。スパーズについては以前も述べた。プレミアの移籍が大きく動くのは8月になるだろうか。
そして、マンチェスターユナイテッド・アーセナルが来日した。
ユナイテッドはマリノスとセレッソと対戦した(テレビ東京でサッカーを観たのは初めてかもしれない)。
スタジアムにおけるチャントについて「マンU」という略称を使用すべきでない(侮蔑的な意味が含まれている)という注意が周知されていたようだ。これは香川が加入したときにも周知の動きがあったが、それでもこの略称はなかなかなくならない。その理由はおそらく代替案がないことにあろう。大手メディアや選手が略称を名付けて固定されることを願いたい。例えば「マンユナ」というのもあり得るだろう。しかし強い違和感があることはできない。「マンU」に慣れており、また、マンチェスターシティは問題なくマンCであることも影響しているだろう。なんにせよ、早々に変更し、慣れるほかないだろう。
試合については、セレッソの南野くんが世界に見つかったことくらいが特筆すべき点だろう。素晴らしい動きをみせ、優れたゴールを決めた。試合中にTwitterでMinaminoと検索したら、賛辞の声が多くみられた。「Minamino - reckon that'll be a name to remember...」というのが印象的だった。
アーセナルはグランパスとレッズと対戦している。
試合は都内で中継されておらず、ハイライトしか見れていない。試合外では、アーセナルの錚々たる面々が日本を楽しんでいる様が動画や画像を通じて伝えられてきた。相撲を観戦したり、ノリノリで侍の格好をしたり(ポドルスキとメルテザッカー)、寿司職人となったり(アルテタとサニャ)と、興味深かった。日本を楽しんでもらえたことが単純に嬉しい。また、グランパス戦は、ベンゲルが名古屋に帰還してグランパスと対戦するというのも物語として優れていた(ベンゲルは95-96、96-97のシーズン途中までグランパスで監督をしていた。そのとき、選手として現グランパス監督のピクシーはベンゲルに指導されていた)。
とはいえ、アーセナルのアジアツアーで最も話題をさらったのは一人のベトナム人だった。彼は選手の乗ったバスに8キロも並走し、最後にはバスに招き入れられサインや写真撮影をするという栄誉を勝ち取っている。
「The Running Man - Arsenal Tour 2013」
素晴らしい映像。「Sign Him Up!」の合唱。
バイエルンに4年間在籍したドイツ代表マリオゴメスの、フィオレンティーナへの移籍が決まった。10-11にはリーグ得点王を獲得し、不動のレギュラーとして活躍してきたが、12-13シーズンには、移籍してきたマンジュキッチにスタメンを奪われた。しかし、途中出場においてもその優れた得点力を発揮し、バイエルンがCLを勝ちぬきつつリーグでも他を圧倒した力の一端を担った。また、昨季体制のラストマッチとなるドイツカップ決勝での物語として優れた活躍は以前も述べたところである。
基本的に「試合には入らずゴールだけを決める」という特徴ゆえに、監督がペップに交代した来季にはますます出番はないだろう。また、マンジュキッチだけでなくゲッツェもバイエルン入りしており、明らかにマリオが多すぎた。したがって移籍はやむを得ない。彼のイタリアでの活躍を期待したい。セリエの試合は、長友が出ているインテルの試合をたまに観るくらいだが、来季はもしかしたらさらに一人日本人も…。いずれにせよ、フィオレンティーナは昨季4位という高順位で終えている。マリオゴメスはセリエを盛り上げる人材となりうるだろう。
それとは逆に、チアゴ・アルカンタラがバルセロナからバイエルンに移籍してきた。監督の熱烈な希望であったことから、プレシーズンマッチの多くで起用されている。
プレシーズンマッチは多く行われたが、7/20.21に行われたテレコムカップ(4チームの大会である。30分ハーフという変則的な試合が行われる。)を取り上げよう。新体制で初のブンデス1部所属チーム同士の対戦となるので、プレシーズンマッチの中では比較的重要度が高めの試合となる。参加チームは、バイエルン、ハンブルガーSV、ボルシアMG、ドルトムントの4チーム。
バイエルンは、1戦目ハンブルガーSVを4-0で下した。そして、翌日ドルトムントを下したボルシアMGを5-1で制し、優勝している(意外にもバイエルンはこれがテレコムカップ初優勝だそうだ)。30分ハーフにおいてもこの得点力…。中日のない連戦であるにも関わらずこの得点力…。そして得点者に偏りがないところが恐ろしい。この大会においても、チアゴは中盤の底で効果的な動きを見せ、ボルシアMG戦では移籍後初ゴールを記録している。もっとも、アンカーでの起用は守備面で不評であるようだ。ただし、ミュラーがCF起用され、ラ―ムが中盤起用されるなどしており、フォーメーションは定まっていないようである。実際、ペップはボルシア戦の後半、チアゴのパスミスを見かね、クロースとその位置を入れ替えている。ちなみに、クロースの怪我でスタメンに舞い戻り、そのまま好調を維持しているロッベンは、ペップの就任が決まった際に退団濃厚と噂されていたが、新体制でも場所を得られそうだ。
そんなバイエルンであるが、7/27に行われたドイツ・スーパーカップでは、ドルトムントに敗れている(以前も述べた)。ここでもチアゴのアンカー起用は不評だった(あれ、やはりしつこくアンカー起用されているな…)。このドルトムントの勝利は、リーグ全体において良い結果であろう。ブンデスリーガをつまらないリーグにさせないためにも、対抗馬であるドルトムント(移籍についていえば、若手ドイツ代表のライトナーについて、契約を4年延長しつつシュトゥットガルトに2年間の期限付き移籍をさせた)とシャルケの活躍に期待したい。
★プレミアリーグ
また新たなベルギー代表がプレミア入りした。トゥエンテからシャドリがスパーズに移籍。スパーズについては以前も述べた。プレミアの移籍が大きく動くのは8月になるだろうか。
そして、マンチェスターユナイテッド・アーセナルが来日した。
ユナイテッドはマリノスとセレッソと対戦した(テレビ東京でサッカーを観たのは初めてかもしれない)。
スタジアムにおけるチャントについて「マンU」という略称を使用すべきでない(侮蔑的な意味が含まれている)という注意が周知されていたようだ。これは香川が加入したときにも周知の動きがあったが、それでもこの略称はなかなかなくならない。その理由はおそらく代替案がないことにあろう。大手メディアや選手が略称を名付けて固定されることを願いたい。例えば「マンユナ」というのもあり得るだろう。しかし強い違和感があることはできない。「マンU」に慣れており、また、マンチェスターシティは問題なくマンCであることも影響しているだろう。なんにせよ、早々に変更し、慣れるほかないだろう。
試合については、セレッソの南野くんが世界に見つかったことくらいが特筆すべき点だろう。素晴らしい動きをみせ、優れたゴールを決めた。試合中にTwitterでMinaminoと検索したら、賛辞の声が多くみられた。「Minamino - reckon that'll be a name to remember...」というのが印象的だった。
アーセナルはグランパスとレッズと対戦している。
試合は都内で中継されておらず、ハイライトしか見れていない。試合外では、アーセナルの錚々たる面々が日本を楽しんでいる様が動画や画像を通じて伝えられてきた。相撲を観戦したり、ノリノリで侍の格好をしたり(ポドルスキとメルテザッカー)、寿司職人となったり(アルテタとサニャ)と、興味深かった。日本を楽しんでもらえたことが単純に嬉しい。また、グランパス戦は、ベンゲルが名古屋に帰還してグランパスと対戦するというのも物語として優れていた(ベンゲルは95-96、96-97のシーズン途中までグランパスで監督をしていた。そのとき、選手として現グランパス監督のピクシーはベンゲルに指導されていた)。
とはいえ、アーセナルのアジアツアーで最も話題をさらったのは一人のベトナム人だった。彼は選手の乗ったバスに8キロも並走し、最後にはバスに招き入れられサインや写真撮影をするという栄誉を勝ち取っている。
「The Running Man - Arsenal Tour 2013」
素晴らしい映像。「Sign Him Up!」の合唱。
2013年7月29日月曜日
2013年7月28日日曜日
シャルケ(アルサッド戦)のこと
シャルケのメインスポンサーであるガスプロム主催による、アルサッドを招いた「グラシアス、ラウール!」と銘打たれた試合が日本時間の7月27日深夜に行われた。
アルサッドは現在ラウールが所属するカタールのチームであり、2010-11シーズンのACLの覇者でもある。2011年のクラブワールドカップ3位決定戦で、柏レイソルがPK戦で敗れてしまったあのチームである。ちなみに今季のJ2得点ランク2位の選手も所属している(6月までガンバ大阪にいたレアンドロである。今回の試合にも出場していた)。 試合前からTwitterで流れていたシャルケのメンバー表には、背番号7の選手が二人おり(マイヤー。そしてラウール!)、さらには今年5月に引退した元ドイツ代表DFメッツェルダーの名があり、ファンの興奮を煽っていた。メッツェルダーは長年たび重なる怪我に苦しみ、32歳の若さで引退を決断している。 試合はまず、前半3分にファルファンがPKを相手GKの逆をついて冷静に押し込んだ。続く8分に、ファルファンの右サイドからのクロスに、クレメンスがワンタッチでサライに送り、サライがワンタッチで見事ゴールに流し込んだ。後ろから来たボールをダイレクトで押し込むサライの技術に驚嘆させられた。さらに24分には、中央に位置したクレメンスが右サイドのファルファンにパスを送り、ファルファンがドリブルでしかけマイナスのパスを送る。それを相手DFが足にあて、こぼれたところをサライがつめて3点目が決まる。そして30分には、右サイドでフリーとなっていたファルファンに対するマティプからの正確なロングパス。これを受けたファルファンが高速ドリブルでゴールに向かい、浮かせたシュートでGKを交わし4点目。 後半にはGKを除く10人が交代し、ラウールがシャルケのユニを着てピッチに立った。フンテラールとのキックオフの場面に会場が沸いた。55分、フリーでPA内で受けたフンテラールがGKとの一対一を制し後半の1点目を奪取。58分には、バストスが右奥のスペースにノールックで出したパスを、走り込んで受けたゴレツカがクロスを上げる。ラウールが走り込んでいる。と思ったらそのままボールはゴールに吸い込まれた。ゴレツカの無邪気な笑顔から推測するに、クロスだったのだろう。59分、ラウールを中心とした崩しに、DFラインから猛然と走ってきたホーグランドがPA内で受け、中央のフンテラールにクロスを送り、フンテラールが押し込んだ。これで6点目が入った。 そして64分、内田がバストスに送り、バストスが速いクロスをファーに送る。高めとなったクロスを足でトラップしたドラクスラーが驚異的なボールタッチで3人を交わし、ラウールに送る。それをきっちりラウールが左足で決めた。ラウールらしいワンタッチゴール。讃えるようにドラクスラーを持ちあげるラウール。素晴らしい瞬間だった。最後に、69分、ラウールが自ら得たPKを決め9点目。子どもたちのもとへ駆け寄るラウール。素晴らしい瞬間だ。 68分にフンテラールとの交代でメッツェルダーが投入され、86分にはラウールとマックス・マイヤーという新旧7番の交代も見られた。 これ以上ないというくらい本当に素晴らしいお祭り試合になった。シャルケとしても、様々なゴールパターンが見られた。実戦とはいえないにせよ、とりわけゴレツカ、クレメンス、サライといった新戦力の能力が素晴らしく、前線の補強は少なくとも成功したと思われる。
アルサッドは現在ラウールが所属するカタールのチームであり、2010-11シーズンのACLの覇者でもある。2011年のクラブワールドカップ3位決定戦で、柏レイソルがPK戦で敗れてしまったあのチームである。ちなみに今季のJ2得点ランク2位の選手も所属している(6月までガンバ大阪にいたレアンドロである。今回の試合にも出場していた)。 試合前からTwitterで流れていたシャルケのメンバー表には、背番号7の選手が二人おり(マイヤー。そしてラウール!)、さらには今年5月に引退した元ドイツ代表DFメッツェルダーの名があり、ファンの興奮を煽っていた。メッツェルダーは長年たび重なる怪我に苦しみ、32歳の若さで引退を決断している。 試合はまず、前半3分にファルファンがPKを相手GKの逆をついて冷静に押し込んだ。続く8分に、ファルファンの右サイドからのクロスに、クレメンスがワンタッチでサライに送り、サライがワンタッチで見事ゴールに流し込んだ。後ろから来たボールをダイレクトで押し込むサライの技術に驚嘆させられた。さらに24分には、中央に位置したクレメンスが右サイドのファルファンにパスを送り、ファルファンがドリブルでしかけマイナスのパスを送る。それを相手DFが足にあて、こぼれたところをサライがつめて3点目が決まる。そして30分には、右サイドでフリーとなっていたファルファンに対するマティプからの正確なロングパス。これを受けたファルファンが高速ドリブルでゴールに向かい、浮かせたシュートでGKを交わし4点目。 後半にはGKを除く10人が交代し、ラウールがシャルケのユニを着てピッチに立った。フンテラールとのキックオフの場面に会場が沸いた。55分、フリーでPA内で受けたフンテラールがGKとの一対一を制し後半の1点目を奪取。58分には、バストスが右奥のスペースにノールックで出したパスを、走り込んで受けたゴレツカがクロスを上げる。ラウールが走り込んでいる。と思ったらそのままボールはゴールに吸い込まれた。ゴレツカの無邪気な笑顔から推測するに、クロスだったのだろう。59分、ラウールを中心とした崩しに、DFラインから猛然と走ってきたホーグランドがPA内で受け、中央のフンテラールにクロスを送り、フンテラールが押し込んだ。これで6点目が入った。 そして64分、内田がバストスに送り、バストスが速いクロスをファーに送る。高めとなったクロスを足でトラップしたドラクスラーが驚異的なボールタッチで3人を交わし、ラウールに送る。それをきっちりラウールが左足で決めた。ラウールらしいワンタッチゴール。讃えるようにドラクスラーを持ちあげるラウール。素晴らしい瞬間だった。最後に、69分、ラウールが自ら得たPKを決め9点目。子どもたちのもとへ駆け寄るラウール。素晴らしい瞬間だ。 68分にフンテラールとの交代でメッツェルダーが投入され、86分にはラウールとマックス・マイヤーという新旧7番の交代も見られた。 これ以上ないというくらい本当に素晴らしいお祭り試合になった。シャルケとしても、様々なゴールパターンが見られた。実戦とはいえないにせよ、とりわけゴレツカ、クレメンス、サライといった新戦力の能力が素晴らしく、前線の補強は少なくとも成功したと思われる。
ちなみに、同日ドイツ・スーパーカップが行われている。
これは、ブンデスリーガの優勝チームとDFBポカールの優勝チームが対戦する試合であり、日本でいうFUJI XEROX・スーパーカップにあたる(J1優勝チームと天皇杯優勝チームが対戦する)。
2011年にはシャルケがPK戦の末カップを獲得している(日本人についていえば、香川がフル出場し、内田はベンチで出場なしという試合であった)。
今回は、リーグもポカールもバイエルンが優勝しており、リーグ2位のドルトムントがバイエルンの対戦相手となっている(昨年はその逆でリーグ2位のバイエルンがドルトムントの対戦相手となり、バイエルンが2-1でドルトムントを下している)。シーズン後の移籍した選手が実戦で初めて見られることから、スーパーカップは毎年注目に値する試合となっている。
そして、ドルトムントがバイエルンを4-2で下した。
個人的な今季のドルトムントの注目選手はオーバメヤン。彼は、ドルトムント移籍後の練習において30m走でボルトを超える記録を出したそうだ。この試合でも足の速さだけは見せつけていた。ドルトムントサッカーにうまく組み込まれたら脅威になりそうだ。
オーバメヤンは、若くしてミランに保有され、レンタルのたらいまわしにあった後、ミランが手放した昨年サンテティエンヌで活躍し、この夏にドルトムントに獲得された選手。注目したい。ちなみにイタリア・フランス・カボンの代表を選べたようだが、彼はカボン代表を選んでいたらしい。今季、どうなるか、みてみよう。
2013年7月25日木曜日
シャルケ(サウザンプトン戦)のこと
日本時間7月24日の深夜、シャルケはオーストリアのフィラッハでサウザンプトンとのテストマッチを行った。ユニフォームがいつもの青でも白でもなく緑色で若干の違和感を感じつつ眺めていた。試合内容に関しては、前半は動かずぐだぐだで、後半は相手のサウザンプトンがとにかく緩かった。とくに何かが分かる試合ではないように思えた(ちなみに吉田は怪我明けでベンチ外)。ゴレツカの8、アダムサライの28、そして後半から入ったクレメンスの11のそれぞれの背番号を、ユニフォームを着た姿で確認できたことだけが収穫だった。2対0でシャルケが勝利した。
初シャルケ記事なので、今回は出場した所属選手を紹介していこうと思う。
スタメンは、GKが元ドイツ代表の79年生まれ、ヒルデブランド。そして、DFが右から内田、カーン・アイハン、ヘーベデス、フクスだった。ヘーベデスは88年生まれのドイツ代表である。代表ではCBではなくSBとして出場することが多い。そして、注目すべきは、5歳の頃からシャルケでプレーしているユース上がりの10代のアイハンが出場した点であろう。来季はリーグ戦で使われるのかも見どころだ。そして、左SBはフクスである。昨季は、後半から若手のコラシナツにスタメンを奪われることが多かったフクス(Kolašinacの日本語読みは様々な表記が試みられたが、最近コラシナツに落ち着いたようだ。)。髭が似合うこのフクスは、左足の正確なキックをもっているので、FKを任されることが多い。
そして中盤の底が、新加入の若手ゴレツカ、そしてジョーンズ。右SHが右利きのバルネッタ、左SHが左利きのバストス。右SHにはファルファンがいるため、バルネッタは左に配されることが多い。しかし、今日の試合を観る限り、やはり右の方がやりやすそうに見えた。バルネッタは、レバークーゼン時代から「控えの中でのファーストチョイス」という位置につくことが多い。昨季はリーグ戦において、先発出場2試合ながら34試合中21試合もの試合に出場している(ちなみに内田は24試合出場し、すべて先発出場である)。バルネッタは器用であるがゆえ、さ内田が怪我の際にはSB起用までされたよう記憶している。そしてトップ下にはドラクスラー。ワントップにアダムサライがついた。
交代については、まず、後半開始時に、アイハン、ドラクスラー、バルネッタが、それぞれマティプ、クレメンス、フンテラールと交代している。その後、ジョーンズに代わりノイシュテッター、サライに代わり、プッキが入った。これらについても、特に示唆は得られなかったが、新加入選手がそれぞれのイメージ通りの動きをしていたように思える。新加入選手については以前も述べた。
得点シーンを記録しておくと、1点目は内田のアーリークロスが起点となった。このロングボールを今季加入した若手クレメンスが押し込もうとするもGKにあたり、その跳ね返りをフンテラールが押し込んだ。先の日本代表の中国戦における柿谷、ユナイテッドのマリノス戦における香川にもそのようなシーンが見られたが、あえてトラップをせず、ボールの進む先を正確に読みながら、身体の入れ方で相手をかわしていくクレメンスの技術に痺れた。そして、2点目は、こぼれ球をマティプがニアに強く正確なシュートを決めるという意外なシーンも見られた。毎回その年齢を確認すると驚くのだが、まだ彼は21歳である。すっかりスタメンに定着している素晴らしい才能である(ドイツ代表を選べたが、カメルーン代表となっている)。
以下、一度使ってみたかった図を作ってみた。Football Tacticsというサイトで簡単につくることができる。5分ほどでできた。
★★★
ちなみに裏でやっていたバイエルンとバルサの試合も流していたが、完全にバイエルンがパスサッカー(いわば「バルサ的サッカー」)でバルサを翻弄していた。空間に出す長短のパスが面白いように決まる様は圧巻だった。白いシャツでたたずむペップの自然さも感じられた。左SHのリベリと昨季より一列高い右SHで出場したラームがいい動きを見せていたが、まさにそのリベリーのクロスをラームが頭で合わせ、前半のうちに得点している。後半は観ていない。
リーグに1強チームがいる場合には、直接対決よりも、格下に確実に勝っていくことが重要になるだろう。とはいえ、どこかの数チームがバイエルンを倒さない限り、優勝を阻止、ひいてはリーグをつまらなくすることを阻止できない。どうなるか、期待したい。また、ハビマルティネスがベンチにいたことが気にかかったということを残しておく。
初シャルケ記事なので、今回は出場した所属選手を紹介していこうと思う。
スタメンは、GKが元ドイツ代表の79年生まれ、ヒルデブランド。そして、DFが右から内田、カーン・アイハン、ヘーベデス、フクスだった。ヘーベデスは88年生まれのドイツ代表である。代表ではCBではなくSBとして出場することが多い。そして、注目すべきは、5歳の頃からシャルケでプレーしているユース上がりの10代のアイハンが出場した点であろう。来季はリーグ戦で使われるのかも見どころだ。そして、左SBはフクスである。昨季は、後半から若手のコラシナツにスタメンを奪われることが多かったフクス(Kolašinacの日本語読みは様々な表記が試みられたが、最近コラシナツに落ち着いたようだ。)。髭が似合うこのフクスは、左足の正確なキックをもっているので、FKを任されることが多い。
そして中盤の底が、新加入の若手ゴレツカ、そしてジョーンズ。右SHが右利きのバルネッタ、左SHが左利きのバストス。右SHにはファルファンがいるため、バルネッタは左に配されることが多い。しかし、今日の試合を観る限り、やはり右の方がやりやすそうに見えた。バルネッタは、レバークーゼン時代から「控えの中でのファーストチョイス」という位置につくことが多い。昨季はリーグ戦において、先発出場2試合ながら34試合中21試合もの試合に出場している(ちなみに内田は24試合出場し、すべて先発出場である)。バルネッタは器用であるがゆえ、さ内田が怪我の際にはSB起用までされたよう記憶している。そしてトップ下にはドラクスラー。ワントップにアダムサライがついた。
交代については、まず、後半開始時に、アイハン、ドラクスラー、バルネッタが、それぞれマティプ、クレメンス、フンテラールと交代している。その後、ジョーンズに代わりノイシュテッター、サライに代わり、プッキが入った。これらについても、特に示唆は得られなかったが、新加入選手がそれぞれのイメージ通りの動きをしていたように思える。新加入選手については以前も述べた。
得点シーンを記録しておくと、1点目は内田のアーリークロスが起点となった。このロングボールを今季加入した若手クレメンスが押し込もうとするもGKにあたり、その跳ね返りをフンテラールが押し込んだ。先の日本代表の中国戦における柿谷、ユナイテッドのマリノス戦における香川にもそのようなシーンが見られたが、あえてトラップをせず、ボールの進む先を正確に読みながら、身体の入れ方で相手をかわしていくクレメンスの技術に痺れた。そして、2点目は、こぼれ球をマティプがニアに強く正確なシュートを決めるという意外なシーンも見られた。毎回その年齢を確認すると驚くのだが、まだ彼は21歳である。すっかりスタメンに定着している素晴らしい才能である(ドイツ代表を選べたが、カメルーン代表となっている)。
以下、一度使ってみたかった図を作ってみた。Football Tacticsというサイトで簡単につくることができる。5分ほどでできた。
★★★
ちなみに裏でやっていたバイエルンとバルサの試合も流していたが、完全にバイエルンがパスサッカー(いわば「バルサ的サッカー」)でバルサを翻弄していた。空間に出す長短のパスが面白いように決まる様は圧巻だった。白いシャツでたたずむペップの自然さも感じられた。左SHのリベリと昨季より一列高い右SHで出場したラームがいい動きを見せていたが、まさにそのリベリーのクロスをラームが頭で合わせ、前半のうちに得点している。後半は観ていない。
リーグに1強チームがいる場合には、直接対決よりも、格下に確実に勝っていくことが重要になるだろう。とはいえ、どこかの数チームがバイエルンを倒さない限り、優勝を阻止、ひいてはリーグをつまらなくすることを阻止できない。どうなるか、期待したい。また、ハビマルティネスがベンチにいたことが気にかかったということを残しておく。
2013年7月23日火曜日
戦略のこと
7月15日のTBSラジオ「たまむすび」において、武井壮さんが二階級制覇したボクサーの粟生隆寛さんについて語っていた。
その中で本稿で注目したいのは、武井さんが、「ボクシングのトレーニングで大切にしていることを三つ教えてください」という質問をしたのに対し、粟生さんは、「バランス、ポジショニング、身体の柔軟性」と答え、「ただ、この三つはボクシングで重要だと言われていることではなく、完全に僕が思っているだけです」と付け加えたという話である。これについて、様々なスポーツ選手と交流のある武井さんは、こここそが重要だと強調した。自身も含め、「チャンピオンになったり、いままで人がやってないような記録を出す選手は、それまでその業界で成り立ってた方法論を、気にしない人が多い」とコメントしていた。
これは、人生の他のあらゆる問題に対する戦略においても同様なのではないか。
例えば、受験勉強においても同様であろう。林修さんも、受験生で高いレベルの生徒は、勉強のやり方に変なこだわりがなく柔軟に自分なりのやり方を作り上げている、ということをバラエティ番組において何度も強調していた。私の経験としても、受験生時代も、大学においても、自分が正しいと思う自分なりのやり方を明確に持っている人が多かったように思う。仕事においてもまた、同様であろう。微調整しつつ、勉強のやり方、仕事のペーパーの作り方、時間の作り方をその都度、自分の納得のいく形で柔軟に作り上げることによって上手くこなせるようになったように思う。逆にいえば、やり方を把握するまでは、効率よく問題を処理していくことができない場合が多い。自分なりのやり方を作る、という意識をするようになってからは、効率よい処理が可能になるまでの時間が短くなったように思える。今後は、このことをより意識していこうと思わされた。
スポーツは別であろうが、それ以外のことは、よほどのことがない限り、能力の個体差はあまりないように思える。やはり、結果を左右するのは戦略であろう。まずは先人のやり方を知り、それを自分でやってみるのがいいと考える。そしてそのうちに必ず自分にしっくりこない部分が出てくる。そこで、その違和感から自分のやり方を作り上げていく。それが人生なのだろう(先人の手を借りることの手っ取り早さについては以前も述べた)。そして私は、始めて1ヶ月経つが、いまだブログの書き方を見つけることができていない。「自戒を込めて」という常に付すべきマジックワードがまさに襲いかかってくる。いやはや。
★★★
Vioというボコーダーアプリを発見したのでiPadで使用してみた。先日TwitterでJB来日という言葉が流れており、Get upの人が来日したのかと思えば、そうではなかった。かといってカートコバ―ンの愛用していたギターのピックアップの話でもなかった。James Blakeだった。名前を聞いたことがあるが、よく知らないのでYoutube先生のところを訪問した。そのときのことを思い出しながら、だいたいこんな感じなんじゃないの、という試み。誰でも特になんの工夫もせずそれっぽい音になる。
その中で本稿で注目したいのは、武井さんが、「ボクシングのトレーニングで大切にしていることを三つ教えてください」という質問をしたのに対し、粟生さんは、「バランス、ポジショニング、身体の柔軟性」と答え、「ただ、この三つはボクシングで重要だと言われていることではなく、完全に僕が思っているだけです」と付け加えたという話である。これについて、様々なスポーツ選手と交流のある武井さんは、こここそが重要だと強調した。自身も含め、「チャンピオンになったり、いままで人がやってないような記録を出す選手は、それまでその業界で成り立ってた方法論を、気にしない人が多い」とコメントしていた。
これは、人生の他のあらゆる問題に対する戦略においても同様なのではないか。
例えば、受験勉強においても同様であろう。林修さんも、受験生で高いレベルの生徒は、勉強のやり方に変なこだわりがなく柔軟に自分なりのやり方を作り上げている、ということをバラエティ番組において何度も強調していた。私の経験としても、受験生時代も、大学においても、自分が正しいと思う自分なりのやり方を明確に持っている人が多かったように思う。仕事においてもまた、同様であろう。微調整しつつ、勉強のやり方、仕事のペーパーの作り方、時間の作り方をその都度、自分の納得のいく形で柔軟に作り上げることによって上手くこなせるようになったように思う。逆にいえば、やり方を把握するまでは、効率よく問題を処理していくことができない場合が多い。自分なりのやり方を作る、という意識をするようになってからは、効率よい処理が可能になるまでの時間が短くなったように思える。今後は、このことをより意識していこうと思わされた。
スポーツは別であろうが、それ以外のことは、よほどのことがない限り、能力の個体差はあまりないように思える。やはり、結果を左右するのは戦略であろう。まずは先人のやり方を知り、それを自分でやってみるのがいいと考える。そしてそのうちに必ず自分にしっくりこない部分が出てくる。そこで、その違和感から自分のやり方を作り上げていく。それが人生なのだろう(先人の手を借りることの手っ取り早さについては以前も述べた)。そして私は、始めて1ヶ月経つが、いまだブログの書き方を見つけることができていない。「自戒を込めて」という常に付すべきマジックワードがまさに襲いかかってくる。いやはや。
★★★
Vioというボコーダーアプリを発見したのでiPadで使用してみた。先日TwitterでJB来日という言葉が流れており、Get upの人が来日したのかと思えば、そうではなかった。かといってカートコバ―ンの愛用していたギターのピックアップの話でもなかった。James Blakeだった。名前を聞いたことがあるが、よく知らないのでYoutube先生のところを訪問した。そのときのことを思い出しながら、だいたいこんな感じなんじゃないの、という試み。誰でも特になんの工夫もせずそれっぽい音になる。
2013年7月21日日曜日
ネット選挙解禁と投票率のこと
ネット選挙のこと。
都内某大手新聞の政治部所属で記者の職に就いている友人が、こんなことを言っていた。ネット選挙解禁によって明確に変わったことの一つは記者の仕事であり、twitterやニコ生をもらさず把握する必要が生まれ、仕事量が膨大に増えた、と。そう彼は嘆いてみせた。
長年、彼と話をしていると、記者の行動原理のまず第一は、スクープをとるといったことではなく、「他社が拾った事実をもらさないこと」にあることが見えてくる。冷静に想像すれば当然のことだが、意外と瞬間のイメージとはズレているかもしれない。
また、これも一般的なイメージとはズレそうだが、取材対象者と記者との関係は、新聞社の構成員と政治家といった形式的なものではなく、もっと人と人との普通の人間関係と同様であるということも分かってくる。したがって、例えば民主党政権時に国会担当となった記者は、民主党が野党に下っても担当は民主党のままである。これはアメリカにおいても同様であろう。例えば前回の大統領選で、オバマの再選が危ういというニュースの方が日本でもよく聞こえてきた。これは、実は報じられる情報の量について若干偏ったものであったようだ。このような報道が多くなされていた理由は、日本に情報を伝える位置にいる記者は、01-09の共和党政権時に与党つきであった者が多いことによると推測される(結果としては、周知の通りオバマは危うげなく再選した)。
このように、シンプルに人間的に信頼関係を築き、情報を得る、という活動が記者の活動であるようだ。他方で、選挙特番等で政治家にぐいぐい質問する池上彰さんなんかは、政治部ではなく社会部の出自を思い起こさせる手法に見えるそうだ。
なんにせよネット選挙解禁は、政党や政治家を評価する前提となる事実の量を増やすことに貢献するだろう(事実評価とそれに先立つ事実認定の話は以前も述べた)。そして、評価の前提となる事実を増やしていく役割を果たす「記者」の一人も、同様のことを実感しているようだ。選挙権者がソース付きですぐに取得できる情報が今回の選挙では格段に増えている、と述べていた。
投票率のこと。
他方で、私と彼との間で見解が分かれた点がある。それは、「投票率が高いことは善きことだ」、という点である。私はこれは限定なくしては同意できない。十分な情報を得たのち、熟議し、その上で投票する人の数が増えることは、間違いなく善きことであろう。しかし、この「事実認定」「事実評価」という各過程の成熟度を問わないまま、投票率が高いことを望むのは、はたしてどうなのだろうか。これは議論が分かれるところであろう。以前も述べた通り、手段は目的との関係で評価されるべきであるところ、投票という手段を評価するにあたっては民主主義をどう見るか、国民一般をどう見るか、といった国家観に深く関わる問題であろう。そしてこれもまた当然、とりとめなし、結論なし、である。論理の領域に属する問題ではなく、価値観の領域に属する話であるからだ。とはいえ個人が、微力ではありつつも真摯に思考を働かせることは、きっと悪いことではないだろう。
武井壮さんが似た趣旨のことをおっしゃっていたので引用する。彼は瞬間のイメージとは裏腹に非常に知的な人物である。彼が月曜にコーナーを持つたまむすびというラジオをPodcastでよく聴いている。意図をもってあらゆる行為に及んでいるのがよく分かる。また、高級車や高級マンションを有していることが騒がれていたが、彼は家をもたないキャラであっただけであり、貧乏キャラであったわけではない。優れた身体能力と知性、そして貪欲さを持っており、相応の資産を築いてきたのは当然であろう。
他方でまた、「××党が勝てないのは投票率が低いせいだ」「原発反対派が支持を得られていないように見えるのは投票率が低いせいだ」といった非論理の拠り所に投票率が用いられるのも事実である。民主主義には、民意の調達手段としての側面の他に、国民による立法府への正当化の側面もある。例えば国民主権についての憲法学者による把握として、国民主権には権力性と正当性の両側面があるとされている。権力性とは、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が有するという意味であり、正当性とは、国家の権力行使を究極的に正当化する権威が国民にあるという意味であるとされる。後者の「正当性」という点を軽視してはならない、という意見も重要なものであろう。実質は置くとしても、形式として、選挙にこのような正当性の表出としての意味を持たせるには、現在の投票率では足りないのではないか、という意見もまた、理解できるところだ。
都内某大手新聞の政治部所属で記者の職に就いている友人が、こんなことを言っていた。ネット選挙解禁によって明確に変わったことの一つは記者の仕事であり、twitterやニコ生をもらさず把握する必要が生まれ、仕事量が膨大に増えた、と。そう彼は嘆いてみせた。
長年、彼と話をしていると、記者の行動原理のまず第一は、スクープをとるといったことではなく、「他社が拾った事実をもらさないこと」にあることが見えてくる。冷静に想像すれば当然のことだが、意外と瞬間のイメージとはズレているかもしれない。
また、これも一般的なイメージとはズレそうだが、取材対象者と記者との関係は、新聞社の構成員と政治家といった形式的なものではなく、もっと人と人との普通の人間関係と同様であるということも分かってくる。したがって、例えば民主党政権時に国会担当となった記者は、民主党が野党に下っても担当は民主党のままである。これはアメリカにおいても同様であろう。例えば前回の大統領選で、オバマの再選が危ういというニュースの方が日本でもよく聞こえてきた。これは、実は報じられる情報の量について若干偏ったものであったようだ。このような報道が多くなされていた理由は、日本に情報を伝える位置にいる記者は、01-09の共和党政権時に与党つきであった者が多いことによると推測される(結果としては、周知の通りオバマは危うげなく再選した)。
このように、シンプルに人間的に信頼関係を築き、情報を得る、という活動が記者の活動であるようだ。他方で、選挙特番等で政治家にぐいぐい質問する池上彰さんなんかは、政治部ではなく社会部の出自を思い起こさせる手法に見えるそうだ。
なんにせよネット選挙解禁は、政党や政治家を評価する前提となる事実の量を増やすことに貢献するだろう(事実評価とそれに先立つ事実認定の話は以前も述べた)。そして、評価の前提となる事実を増やしていく役割を果たす「記者」の一人も、同様のことを実感しているようだ。選挙権者がソース付きですぐに取得できる情報が今回の選挙では格段に増えている、と述べていた。
投票率のこと。
他方で、私と彼との間で見解が分かれた点がある。それは、「投票率が高いことは善きことだ」、という点である。私はこれは限定なくしては同意できない。十分な情報を得たのち、熟議し、その上で投票する人の数が増えることは、間違いなく善きことであろう。しかし、この「事実認定」「事実評価」という各過程の成熟度を問わないまま、投票率が高いことを望むのは、はたしてどうなのだろうか。これは議論が分かれるところであろう。以前も述べた通り、手段は目的との関係で評価されるべきであるところ、投票という手段を評価するにあたっては民主主義をどう見るか、国民一般をどう見るか、といった国家観に深く関わる問題であろう。そしてこれもまた当然、とりとめなし、結論なし、である。論理の領域に属する問題ではなく、価値観の領域に属する話であるからだ。とはいえ個人が、微力ではありつつも真摯に思考を働かせることは、きっと悪いことではないだろう。
武井壮さんが似た趣旨のことをおっしゃっていたので引用する。彼は瞬間のイメージとは裏腹に非常に知的な人物である。彼が月曜にコーナーを持つたまむすびというラジオをPodcastでよく聴いている。意図をもってあらゆる行為に及んでいるのがよく分かる。また、高級車や高級マンションを有していることが騒がれていたが、彼は家をもたないキャラであっただけであり、貧乏キャラであったわけではない。優れた身体能力と知性、そして貪欲さを持っており、相応の資産を築いてきたのは当然であろう。
だからよ、選挙は行った方がいいに決まってんだろ。。投票率100パー目指してよ。。でも知らずに投票するより良く知って投票した方がいいだろ。。選挙までひたすら時間あったんだからよ。。次までに色々考えようって話だわ。。まずは行く事!じゃねえよ。。知って行こうぜ。。
— 武井壮 (@sosotakei) July 21, 2013
他方でまた、「××党が勝てないのは投票率が低いせいだ」「原発反対派が支持を得られていないように見えるのは投票率が低いせいだ」といった非論理の拠り所に投票率が用いられるのも事実である。民主主義には、民意の調達手段としての側面の他に、国民による立法府への正当化の側面もある。例えば国民主権についての憲法学者による把握として、国民主権には権力性と正当性の両側面があるとされている。権力性とは、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が有するという意味であり、正当性とは、国家の権力行使を究極的に正当化する権威が国民にあるという意味であるとされる。後者の「正当性」という点を軽視してはならない、という意見も重要なものであろう。実質は置くとしても、形式として、選挙にこのような正当性の表出としての意味を持たせるには、現在の投票率では足りないのではないか、という意見もまた、理解できるところだ。
2013年7月20日土曜日
説明のこと
説明能力とは、相手と自分がいかなる段階まで前提を共有できているかを測る能力だといえる。「言わなくとも分かるだろう」という部分と「ここから説明すべきだろう」という部分を峻別する能力である(「無言の前提」を測る能力については、以前も述べた)。説明が伝わらないという結果が生まれた場合に、その状況をもたらした責任は、基本的には説明する側にある。相手の理解能力のせいにしたくなることも確かにある。しかし、説明とはその相手の理解能力を測ることも含んだ行為であろう(もちろん各自の感覚、場、あるいは関係性において限度はあるとは思うが…)。だとすると、説明が伝わらない責任は、説明行為に失敗した、説明者側にある。
ということを、7月18日に地上波で放送されたゲームセンターCXにおけるADの方の有野課長への説明を眺め改めて感じたところである。自戒を込めつつ、という常に省略されるべきマジックワードを添えながら、録画の続きを眺めている。
ということを、7月18日に地上波で放送されたゲームセンターCXにおけるADの方の有野課長への説明を眺め改めて感じたところである。自戒を込めつつ、という常に省略されるべきマジックワードを添えながら、録画の続きを眺めている。
2013年7月18日木曜日
名付けのこと
殺された理由が判明しないうちに、殺した側を「加害者」と呼び殺された側を「被害者」と呼ぶのはかなりミスリーディングな名付けだと思う。殺人行為においてはその通りであろうが、コメントを出す者が殺人行為のみをとらえて評価しているとはとても思えず、また、そうすべきとも思えない。
とりわけ「被害者」と呼ぶことには慎重になった方がいいだろう。いったん「被害者」としての地位を得た者は、攻撃的になりやすい。また、「いかなる攻撃を仕掛けようと自己が正義の側にある」という確信を持ってしまう場合もある。社会における「攻撃」はできるだけ少ない方がよい、という前提に立つのであれば、「被害者」という名付けをすることには慎重になった方がよいのではないか。
若干逆張りの感の強すぎる記事になってしまったが、『「被害者」による侵害』にもそろそろ目を配った方がよいのではなかろうか。まかろーに。てじにゃーな。
とりわけ「被害者」と呼ぶことには慎重になった方がいいだろう。いったん「被害者」としての地位を得た者は、攻撃的になりやすい。また、「いかなる攻撃を仕掛けようと自己が正義の側にある」という確信を持ってしまう場合もある。社会における「攻撃」はできるだけ少ない方がよい、という前提に立つのであれば、「被害者」という名付けをすることには慎重になった方がよいのではないか。
若干逆張りの感の強すぎる記事になってしまったが、『「被害者」による侵害』にもそろそろ目を配った方がよいのではなかろうか。まかろーに。てじにゃーな。
2013年7月9日火曜日
トットナム入門のこと
先日行われたイベントで、プレミアですごいと感じる選手は誰かという質問に対し、香川真司はトットナム(「スパーズ」と呼ばれることの方が多い。以下「スパーズ」とする。)のボランチのデンベレと答えたという。特にこの話の裏はとっていないが、仮にこの発言の事実があったとすれば、なかなか興味深い。デンベレは昨季フルハムからスパーズへ移籍してきたベルギー代表の25歳の選手である。ポジションは、中盤の底の左側。左利きの選手である。日本代表でいう遠藤と同じポジションということになる(ピッチの左サイドにおいて、右利きの選手が効果的なパスを通すのは難しいといわれているが、遠藤はその卓越した技術で役割を果たしている。)。
11-12シーズンまでデンベレのポジションには、現在レアルマドリードに所属するモドリッチが配されていた。入れ替わるように加入したデンベレは、あのファンタスティックなモドリッチに見劣りすることなくその実力を発揮しスタメンに定着している。
香川真司とデンベレとの一度目の対戦は昨年9月、プレミアリーグ第6節であった。香川はこの試合でゴールを決めているが、試合としては2ー3で敗北している。スパーズとしてはアウェイ、オールドトラフォードにおける実に23年ぶりの勝利だったようだ。
そして直近では1月に対戦している。スパーズはこの試合で、4連勝中のユナイテッドに対し引き分けにもちこんでいる。しかも、シュート数でいえば、トットナムが25に対し、マンチェスターユナイテッドはわずか5にとどまっている。また、パス数をみてみると、デンベレが両チーム最多の55本中50本を成功させている。デンベレが圧倒的な存在感を示していたことが数字からも分かる。後半17分にルーニーと交代した香川はおよそその半分27本(25本成功)にとどまる(ちなみに香川がハットトリックを達成したノリッチ戦では、一方的な試合展開でもあったこともあるが香川は74本ものパスを行い67本成功させている)。もっとも、おそらくデンベレの最大の魅力は、むしろ数字には現れないところにあるといえる。それは、視野の広さと状況判断の良さだろう。的確に「嫌な場所」にパスを供給し続けるデンベレを、あるいは的確なポジショニングでボール奪取するデンベレを、香川は目の当たりにしたのではないだろうか。
★★★
以下、さほど詳しくない筆者によるスパーズ入門を若干記述したい。
スパーズというチームはここ4季、4位、5位、4位、5位と安定した成績を残している。スパーズといえば、ベイルの覚醒が昨季は取り上げられていた。ベイルはもともと左SBの選手であり、SBの実力者(守備面では不安視されつつ)として把握されてきた。例えば元イタリア代表SBのマルディーニは、今年のはじめに発表されたインタビューにおいて、注目している現代的なSBの選手としてベイルの名を挙げていた。マドリーへの移籍が噂された際にも、SBとして起用されるとも言われていた。そんなSBとしても優秀なベイルは、一列前のSHに配置され、その卓越した得点力を発揮していくこととなり、その後、昨季の活躍に至る。
若干の脱線。
コンバートは、ときに選手に劇的な変化をもたらし得る。例えば、都並監督のもとでボランチ起用され、それほど特別な選手ではなかった香川真司は、クルピ監督のもとでトップ下としてその才能を開花させたことは有名だ。また、ピルロはトップ下からボランチへ一列下げることによってその才能がさらに発揮された。すでに特別な選手であったピルロがさらに変身を残していたとは、人々を驚かせた。筆者は日本代表でいうなら、内田篤人のボランチ起用に興味を持っている。本人も関心がある旨の発言をしているところであるが、シャルケにおいては、いくつかの試合でチーム内でのボールタッチ数第1位を記録している、内田にボールがわたり彼が顔を上げることが攻撃のスイッチとなることも珍しくない。まさに代表でいう遠藤のように、彼が顔を上げると他の選手が走り出すのである。このような役割を担える彼がボランチで起用される試合を、いつか見てみたいものである。
話を戻そう。ベイルの他の注目選手を記したい。やはりチームを知っていくには、まず有名選手から入るのがよいだろう。それは例えば、サッカー自体への興味をもたらす際、Jリーグへの興味をもたらす際でも同様であろう。
先に述べたデンベレは、ボール奪取能力も素晴らしいが、ボールキープやドリブルも得意としていることから、一列前に置くことも有効であろう。以前のチームではそのように使われることもあったが、スパーズでは中盤の底に配置されている。怪我により長期離脱したサンドロが復帰し、また、先のコンフェデで印象的な活躍をみせたパウリーニョの加入が発表されていることから、デンベレのそのような一列前での起用が、来季見られるかもしれない。11-12では、モドリッチとパーカーがボランチのコンビであったが、12-13ではデンベレとサンドロが基本線である(今年のはじめにサンドロが離脱してからは、パーカーが入ることが多かった)。来シーズンはどのようなサッカーになるだろうか、期待したい。
CFにはデフォー(ゴール前でのキレが持ち味の身長低めのイングランド代表)とアデバヨール(フィジカルに優れた身長高めのトーゴ代表)がいる。デフォーが怪我で離脱しているときでさえ、アデバヨールが起用されずデンプシーが1トップを務めるなど、昨季はアデバヨールの勢いある姿は正直なところあまりみられていない。
また、右SHはレノンである。あのイングランド代表の足の速いレノンである。清武との交代以降、代表で松井が見られなくなったイメージをなんとなく持っているが、ベッカムとレノンもそのような関係にあったと記憶している。また、イングランド代表の選手でいえば、ウォーカーが右SBを務めている(現状では、代表においてはリバプールのグレン・ジョンソンの控えであるが、23歳と若く、そのスピードや豪快なドリブルは非常に興奮させるものがある)。などといったように、有名どころや若手のホープがいい感じに融合したチームだといえよう。
プレミアの他チームサポの方々からあまり嫌われることのない印象のある渋いチームとして、なんとも魅力的なスパーズである。
11-12シーズンまでデンベレのポジションには、現在レアルマドリードに所属するモドリッチが配されていた。入れ替わるように加入したデンベレは、あのファンタスティックなモドリッチに見劣りすることなくその実力を発揮しスタメンに定着している。
香川真司とデンベレとの一度目の対戦は昨年9月、プレミアリーグ第6節であった。香川はこの試合でゴールを決めているが、試合としては2ー3で敗北している。スパーズとしてはアウェイ、オールドトラフォードにおける実に23年ぶりの勝利だったようだ。
そして直近では1月に対戦している。スパーズはこの試合で、4連勝中のユナイテッドに対し引き分けにもちこんでいる。しかも、シュート数でいえば、トットナムが25に対し、マンチェスターユナイテッドはわずか5にとどまっている。また、パス数をみてみると、デンベレが両チーム最多の55本中50本を成功させている。デンベレが圧倒的な存在感を示していたことが数字からも分かる。後半17分にルーニーと交代した香川はおよそその半分27本(25本成功)にとどまる(ちなみに香川がハットトリックを達成したノリッチ戦では、一方的な試合展開でもあったこともあるが香川は74本ものパスを行い67本成功させている)。もっとも、おそらくデンベレの最大の魅力は、むしろ数字には現れないところにあるといえる。それは、視野の広さと状況判断の良さだろう。的確に「嫌な場所」にパスを供給し続けるデンベレを、あるいは的確なポジショニングでボール奪取するデンベレを、香川は目の当たりにしたのではないだろうか。
★★★
以下、さほど詳しくない筆者によるスパーズ入門を若干記述したい。
スパーズというチームはここ4季、4位、5位、4位、5位と安定した成績を残している。スパーズといえば、ベイルの覚醒が昨季は取り上げられていた。ベイルはもともと左SBの選手であり、SBの実力者(守備面では不安視されつつ)として把握されてきた。例えば元イタリア代表SBのマルディーニは、今年のはじめに発表されたインタビューにおいて、注目している現代的なSBの選手としてベイルの名を挙げていた。マドリーへの移籍が噂された際にも、SBとして起用されるとも言われていた。そんなSBとしても優秀なベイルは、一列前のSHに配置され、その卓越した得点力を発揮していくこととなり、その後、昨季の活躍に至る。
若干の脱線。
コンバートは、ときに選手に劇的な変化をもたらし得る。例えば、都並監督のもとでボランチ起用され、それほど特別な選手ではなかった香川真司は、クルピ監督のもとでトップ下としてその才能を開花させたことは有名だ。また、ピルロはトップ下からボランチへ一列下げることによってその才能がさらに発揮された。すでに特別な選手であったピルロがさらに変身を残していたとは、人々を驚かせた。筆者は日本代表でいうなら、内田篤人のボランチ起用に興味を持っている。本人も関心がある旨の発言をしているところであるが、シャルケにおいては、いくつかの試合でチーム内でのボールタッチ数第1位を記録している、内田にボールがわたり彼が顔を上げることが攻撃のスイッチとなることも珍しくない。まさに代表でいう遠藤のように、彼が顔を上げると他の選手が走り出すのである。このような役割を担える彼がボランチで起用される試合を、いつか見てみたいものである。
話を戻そう。ベイルの他の注目選手を記したい。やはりチームを知っていくには、まず有名選手から入るのがよいだろう。それは例えば、サッカー自体への興味をもたらす際、Jリーグへの興味をもたらす際でも同様であろう。
先に述べたデンベレは、ボール奪取能力も素晴らしいが、ボールキープやドリブルも得意としていることから、一列前に置くことも有効であろう。以前のチームではそのように使われることもあったが、スパーズでは中盤の底に配置されている。怪我により長期離脱したサンドロが復帰し、また、先のコンフェデで印象的な活躍をみせたパウリーニョの加入が発表されていることから、デンベレのそのような一列前での起用が、来季見られるかもしれない。11-12では、モドリッチとパーカーがボランチのコンビであったが、12-13ではデンベレとサンドロが基本線である(今年のはじめにサンドロが離脱してからは、パーカーが入ることが多かった)。来シーズンはどのようなサッカーになるだろうか、期待したい。
CFにはデフォー(ゴール前でのキレが持ち味の身長低めのイングランド代表)とアデバヨール(フィジカルに優れた身長高めのトーゴ代表)がいる。デフォーが怪我で離脱しているときでさえ、アデバヨールが起用されずデンプシーが1トップを務めるなど、昨季はアデバヨールの勢いある姿は正直なところあまりみられていない。
また、右SHはレノンである。あのイングランド代表の足の速いレノンである。清武との交代以降、代表で松井が見られなくなったイメージをなんとなく持っているが、ベッカムとレノンもそのような関係にあったと記憶している。また、イングランド代表の選手でいえば、ウォーカーが右SBを務めている(現状では、代表においてはリバプールのグレン・ジョンソンの控えであるが、23歳と若く、そのスピードや豪快なドリブルは非常に興奮させるものがある)。などといったように、有名どころや若手のホープがいい感じに融合したチームだといえよう。
プレミアの他チームサポの方々からあまり嫌われることのない印象のある渋いチームとして、なんとも魅力的なスパーズである。
2013年7月7日日曜日
批評家・評論家のこと
単純なものを複雑なものに見せかけることは容易い。仮に困難であるとしても、いずれにせよ誰かにとって利益を与える行為ではないように思える。他方で、複雑なものを単純なものにするのは困難な仕事だ(素数が暗号化に用いられるのと同様だ)。そして、それは誰かに便益を与える仕事であろう。
批評家・評論家と呼ばれる者は、本来なら、複雑なものを単純なものに噛み砕き説明することがその役割であるはずだろう。しかし実際はどうだろうか。彼らの多くが勤しんでいるのはその逆であるように思える。例えば、自分が名付けた概念で社会現象に説明を与えようとする者がいる。概念を練り上げ、社会現象に統一的な説明を与えることができれば、その試みは当然複雑なものを単純なものにするものであるといえる。しかし実際はどうか。言い換えて終わりだ。概念を定める実益はまったく説明されない。それどころか、議論を閉じたものにし、第三者からすれば、言い換えた分だけ無為に複雑化されたものを提示されることになる。酷い場合には、自分が予め用意した枠で把握することに拘るあまり、他人の意見を適切に把握できない者までいる。
また、彼らが好んで使う「考えねばならない時代に来ている」といった言い回しは非常にミスリーディングであろう。「ねばならない」は一体どこから調達したのだろうか。多くの場合それは説明されない。真に受けた大学生たちが、読みにくい、内容のない文章を読み、何か社会の役に立つための態度を示した気にさせられる。最近では会員制のカフェもあるとか。
さらに、「存在しない極端なバカを叩く」という手法も見られる。一体なんの意味があるのだろうか。
例えば、「違法ダウンロードに刑罰をつければCDの売り上げが上がると思っている音楽業界」というのは一時期よく見られた仮想敵だ。さすがに刑罰化したことが売上アップに繋がるなどと考えているわけではないだろう。売上を高める努力をする前提として、違法ダウンロードに歯止めをかけておく、ということは十分に理解できる方針であろう。合理的に判断された選択だと考えれば、目的をこのように捉えるのが自然だろう。そして、この目的は合理的なものだといえよう。人間のモチベーションは有限なのだ。違法にダウンロードされない環境の方が努力できる、これは我々の経験則に照らして容易に想像できる。
また、反原発に関しても同様である。「原発のデメリットを知らずに原発を維持しようとしているバカ」という存在しない相手が叩かれているのをよく目にする。これは本当に意味のある行為なのだろうか。あらゆる決定はメリットとデメリットを比較してなされる。本当に反対したいのであれば、架空のバカを叩くのではなく、メリットを認めた上で、それでもデメリットが上回る、というように議論を進めるべきであろう。また、以前も述べた通り、事実評価に先だって事実認定自体も問題となるが、これについても、陰謀論的な決め付けではなく、データ(これには電力需要に対応できるかということや事故リスクといったものだけでなく、「なんとなく嫌だ」という主観も含めていいかもしれない)から丁寧に議論すべきであろう。さらには、自分が正義の側にあるという確信もまた、危険であろう(これについては別の機会に述べたい)。
さらに、何かのプロが、多くの人の直感と反するような行動をとった場合に、事実評価の拙さが責められることがある。しかしそれは多くの場合適切ではないのかもしれない。プロとして熟議しているはずだということを前提とすれば、事実認定のレベルに相違がある、すなわち何か秘匿された情報があると考える方が良いだろう。例えば外交問題はその最たるものだろう。国民の直感に反する行為がとられた場合には、何か事実認定レベルで前提が異なると考えるほかない。「(情報が不足しており)何も言えることはない」と認めることも、時には重要なのではないだろうか。
批評家・評論家と呼ばれる者は、本来なら、複雑なものを単純なものに噛み砕き説明することがその役割であるはずだろう。しかし実際はどうだろうか。彼らの多くが勤しんでいるのはその逆であるように思える。例えば、自分が名付けた概念で社会現象に説明を与えようとする者がいる。概念を練り上げ、社会現象に統一的な説明を与えることができれば、その試みは当然複雑なものを単純なものにするものであるといえる。しかし実際はどうか。言い換えて終わりだ。概念を定める実益はまったく説明されない。それどころか、議論を閉じたものにし、第三者からすれば、言い換えた分だけ無為に複雑化されたものを提示されることになる。酷い場合には、自分が予め用意した枠で把握することに拘るあまり、他人の意見を適切に把握できない者までいる。
また、彼らが好んで使う「考えねばならない時代に来ている」といった言い回しは非常にミスリーディングであろう。「ねばならない」は一体どこから調達したのだろうか。多くの場合それは説明されない。真に受けた大学生たちが、読みにくい、内容のない文章を読み、何か社会の役に立つための態度を示した気にさせられる。最近では会員制のカフェもあるとか。
さらに、「存在しない極端なバカを叩く」という手法も見られる。一体なんの意味があるのだろうか。
例えば、「違法ダウンロードに刑罰をつければCDの売り上げが上がると思っている音楽業界」というのは一時期よく見られた仮想敵だ。さすがに刑罰化したことが売上アップに繋がるなどと考えているわけではないだろう。売上を高める努力をする前提として、違法ダウンロードに歯止めをかけておく、ということは十分に理解できる方針であろう。合理的に判断された選択だと考えれば、目的をこのように捉えるのが自然だろう。そして、この目的は合理的なものだといえよう。人間のモチベーションは有限なのだ。違法にダウンロードされない環境の方が努力できる、これは我々の経験則に照らして容易に想像できる。
また、反原発に関しても同様である。「原発のデメリットを知らずに原発を維持しようとしているバカ」という存在しない相手が叩かれているのをよく目にする。これは本当に意味のある行為なのだろうか。あらゆる決定はメリットとデメリットを比較してなされる。本当に反対したいのであれば、架空のバカを叩くのではなく、メリットを認めた上で、それでもデメリットが上回る、というように議論を進めるべきであろう。また、以前も述べた通り、事実評価に先だって事実認定自体も問題となるが、これについても、陰謀論的な決め付けではなく、データ(これには電力需要に対応できるかということや事故リスクといったものだけでなく、「なんとなく嫌だ」という主観も含めていいかもしれない)から丁寧に議論すべきであろう。さらには、自分が正義の側にあるという確信もまた、危険であろう(これについては別の機会に述べたい)。
さらに、何かのプロが、多くの人の直感と反するような行動をとった場合に、事実評価の拙さが責められることがある。しかしそれは多くの場合適切ではないのかもしれない。プロとして熟議しているはずだということを前提とすれば、事実認定のレベルに相違がある、すなわち何か秘匿された情報があると考える方が良いだろう。例えば外交問題はその最たるものだろう。国民の直感に反する行為がとられた場合には、何か事実認定レベルで前提が異なると考えるほかない。「(情報が不足しており)何も言えることはない」と認めることも、時には重要なのではないだろうか。
本稿こそが、「存在しないバカ」叩きなのではないかという疑問が沸くかもしれない。しかし、いわゆる批評家・評論家の著作を読めば、あるいはTwitterを少しでも覗けばすぐに実感できるであろう。
★★★
確かに、善悪とは別の話として、事実として、意見の価値は「誰が言ったか」と「何を言ったか」の掛け算だ(このことは、大学時代の恩師もよく言っておられた。また、林修先生の著書にも「権威トレンド」と表現され言及されている。個人としても、例えばかわいい女の子の言葉とそれ以外の言葉、親しい友人の言葉とそれ以外の言葉もつ影響力の違いは、広く共有できる感覚であろう。)。これは、日常のレベルでも、社会全体においても、動かない事実だと思われる。そうである以上、「誰が言ったか」という部分を高めるため、手柄をあげ、商業的に成功することも必要である。ここは否定できない。しかし、「誰が言ったか」のみに頼っているような状況は、大いに違和感を感じざるをえないところだ。
★★★
確かに、善悪とは別の話として、事実として、意見の価値は「誰が言ったか」と「何を言ったか」の掛け算だ(このことは、大学時代の恩師もよく言っておられた。また、林修先生の著書にも「権威トレンド」と表現され言及されている。個人としても、例えばかわいい女の子の言葉とそれ以外の言葉、親しい友人の言葉とそれ以外の言葉もつ影響力の違いは、広く共有できる感覚であろう。)。これは、日常のレベルでも、社会全体においても、動かない事実だと思われる。そうである以上、「誰が言ったか」という部分を高めるため、手柄をあげ、商業的に成功することも必要である。ここは否定できない。しかし、「誰が言ったか」のみに頼っているような状況は、大いに違和感を感じざるをえないところだ。
2013年7月6日土曜日
7/1~7/6のサッカーのこと
◆本田の移籍問題
ミラン副会長のガリアー二の先月末の発言は「ミランには攻撃的な選手がたくさんいる。本田に入る余地はないね」にとどまるものであった。しかし、7月4日には「本田?どうなるかみてみよう」と発言するに至っている。我々日本人は本田の移籍に関し幾多の一喜一憂を経験している。今回も予断を許さないが、進展は進展である。
「どうなるかみてみよう」というのは、移籍関係の話題において、受け手の想像力を執拗に喚起する言葉としてよく用いられるものだ。原文では「Honda? Vediamo...」と述べている。イタリア語の発音は英語とは異なり綴りと発音は固定されており、単語ごとに読み方が異なることはない。そして、ローマ字読みでそれっぽく発音すれば基本的には大きく間違うことはない。vediamoはべディアーモと発音する。英語でいうseeにあたる動詞である。ホンダ?ベディアーモ。
移籍関係でミランに関し覚えておくべき人物の名前は二つある。一つは、上記のガリアー二であり、もう一つが名誉会長のベルルスコーニである。そう、三期にわたりイタリアの首相を務めた人物がその男である。先月末に禁固7年の地裁判決がなされたことが記憶に新しいが、ガリアー二はこのベルルスコーニの傀儡であると言われている。この判決後においても、ガリアー二はミラン現監督であるアッレグリの続投につきベルルスコーニとの話し合いの場を持った。結果としてアッレグリ監督の続投が発表された。このように、ミランといえばこの二人の人物を把握すれば、話が見えやすくなるだろう。
現地の記者等から様々な情報が小出しにされつつも移籍がもたついている理由は、本田の現所属チームがその選手を手放さない手腕に長けたチームであることも当然その一つとなっている(移籍金設定の綱引きにおいて、非常に強気にでるチームである)が、以前述べたような経営に対するレギュレーションの影響も大きい。リーグにおいては、以前述べた通り、セリエAは経営破たんすると強制降格のペナルティがある。また、UEFAにより欧州のクラブには2011年6月からファイナンシャルフェアプレーも導入されており(具体的には、11~14の3シーズンで認められる累積赤字の額が決められており、これに違反するとCLやELの出場権が剥奪されるなどの大きいペナルティがある)、これも当然に適用される。このように移籍において慎重な動きを求める切実な背景がある。
★シャルケのこと
シャルケの移籍に関して覚えておく人物はヘルトというスポーツディレクターである。彼が移籍に関する責任者となっている。
先月末にはマインツのアダムサライのシャルケ入りが決定した(その影響か岡崎はマインツへ)。ワントップのセカンドチョイスのマリカは頼りなく、また、プッキは覚醒までに時間がかかりそうであり(今年3月のW杯予選でスペイン代表相手に得点してからは、シャルケでもいい動きを見せ、得点もしている)、アダムサライはフンテラールのバックアップの即戦力として期待できそうだ。
そして7月2日、かねてより噂されていたゴレツカのシャルケ入りも発表された。ドルトムントからの関心も噂されていたドイツの若き大器ゴレツカがシャルケ入りを決めた理由の一つは、転校せず高校を卒業できることだったそうだが、もう一つは、シャルケの若手育成に対する評価だったという。下部組織ではエジル、そしてノイアーを輩出しているが、昨期シャルケではトップチームで3人の10代が活躍している。一人はドイツフル代表にも選ばれているドラクスラーであり、ホルトビーの移籍もありトップ下での経験を積んでいる。そして、左SBではフクスの不調もあり、コラシナツがシーズン途中からスタメンに定着している。もう一人はマックス・マイヤーである。彼もドイツの将来を支える若き大器と言われている。このような環境が、彼がシャルケ入りを望んだ理由の一つとなったようだ。
なお、このほかにはライバルの黄色いチームからフェリペ・サンタナが移籍している。同じブラジル出身のバストスと仲が良いそうだ。そして、ケルンからクレメンスが移籍した。昨年末のドイツ杯(DFBポカール)のシュトゥットガルト戦では、走り込んでクロスをペナルティエリア前で受け、トラップでDFをかわし得点を決めていた。左右の足で強烈なミドルを決め、走り込んでワンタッチゴールを決め、FKも決めることができる。イスラエルで行われた先のU-21欧州選手権においてもホルトビー率いるドイツ代表として全試合に出場している(ロシアに勝利しているが、オランダとスペインに負けグループステージで敗退)。なお、U-21とあるが、これは予選開始時の年齢制限であり、本大会時には23歳以下の大会となっている。クレメンスは現在21歳である。
★ゲッツェの入団会見問題
ドルトムントからバイエルンに移籍したゲッツェの入団会見が7月2日に行われた。そこでゲッツェはクラブのスポンサーであるアディダス製のユニフォームを持ちカメラに笑顔を向けているが、その着用しているTシャツの胸には大きくNIKEと書かれていた。そして怒るアディダス。そして謝るバイエルン。
3冠を達成した昨期のバイエルンは圧巻であった。補強したダンテ(先のコンフェデのイタリア戦でダビドルイスの怪我により代わりに入りフレッジのシュートのこぼれ球を押しこんだブラジル代表の髪がもさもさしたDFである)、ハビ・マルティネス(先のコンフェデのイタリア戦でトーレスの代わりになぜかワントップの位置に入れられたスペイン代表のボランチである)、そしてマンジュキッチがことごとくあたりスタメンに定着し、マンジュキッチにスタメンを奪われたマリオゴメスは少ない時間でも結果を出し、クロースが怪我をすればミュラーがトップ下に入り右SHにスタメン復帰したロッベンは輝きを取り戻し、メンバー全員がそのクオリティを発揮した。ブンデスではほぼ控えメンバーで臨んだ試合においても大量得点をする本当に手のつけられないチームであった。そんなチームが最大のライバルであるドルトムントからゲッツェを獲得したわけである。
さっそく一つかましたわけだが、刻一刻とデーブスぺクター氏に似てくるゲッツェはバイエルンにおいてどのような輝きを見せるだろうか。
ミラン副会長のガリアー二の先月末の発言は「ミランには攻撃的な選手がたくさんいる。本田に入る余地はないね」にとどまるものであった。しかし、7月4日には「本田?どうなるかみてみよう」と発言するに至っている。我々日本人は本田の移籍に関し幾多の一喜一憂を経験している。今回も予断を許さないが、進展は進展である。
「どうなるかみてみよう」というのは、移籍関係の話題において、受け手の想像力を執拗に喚起する言葉としてよく用いられるものだ。原文では「Honda? Vediamo...」と述べている。イタリア語の発音は英語とは異なり綴りと発音は固定されており、単語ごとに読み方が異なることはない。そして、ローマ字読みでそれっぽく発音すれば基本的には大きく間違うことはない。vediamoはべディアーモと発音する。英語でいうseeにあたる動詞である。ホンダ?ベディアーモ。
移籍関係でミランに関し覚えておくべき人物の名前は二つある。一つは、上記のガリアー二であり、もう一つが名誉会長のベルルスコーニである。そう、三期にわたりイタリアの首相を務めた人物がその男である。先月末に禁固7年の地裁判決がなされたことが記憶に新しいが、ガリアー二はこのベルルスコーニの傀儡であると言われている。この判決後においても、ガリアー二はミラン現監督であるアッレグリの続投につきベルルスコーニとの話し合いの場を持った。結果としてアッレグリ監督の続投が発表された。このように、ミランといえばこの二人の人物を把握すれば、話が見えやすくなるだろう。
現地の記者等から様々な情報が小出しにされつつも移籍がもたついている理由は、本田の現所属チームがその選手を手放さない手腕に長けたチームであることも当然その一つとなっている(移籍金設定の綱引きにおいて、非常に強気にでるチームである)が、以前述べたような経営に対するレギュレーションの影響も大きい。リーグにおいては、以前述べた通り、セリエAは経営破たんすると強制降格のペナルティがある。また、UEFAにより欧州のクラブには2011年6月からファイナンシャルフェアプレーも導入されており(具体的には、11~14の3シーズンで認められる累積赤字の額が決められており、これに違反するとCLやELの出場権が剥奪されるなどの大きいペナルティがある)、これも当然に適用される。このように移籍において慎重な動きを求める切実な背景がある。
★シャルケのこと
シャルケの移籍に関して覚えておく人物はヘルトというスポーツディレクターである。彼が移籍に関する責任者となっている。
先月末にはマインツのアダムサライのシャルケ入りが決定した(その影響か岡崎はマインツへ)。ワントップのセカンドチョイスのマリカは頼りなく、また、プッキは覚醒までに時間がかかりそうであり(今年3月のW杯予選でスペイン代表相手に得点してからは、シャルケでもいい動きを見せ、得点もしている)、アダムサライはフンテラールのバックアップの即戦力として期待できそうだ。
そして7月2日、かねてより噂されていたゴレツカのシャルケ入りも発表された。ドルトムントからの関心も噂されていたドイツの若き大器ゴレツカがシャルケ入りを決めた理由の一つは、転校せず高校を卒業できることだったそうだが、もう一つは、シャルケの若手育成に対する評価だったという。下部組織ではエジル、そしてノイアーを輩出しているが、昨期シャルケではトップチームで3人の10代が活躍している。一人はドイツフル代表にも選ばれているドラクスラーであり、ホルトビーの移籍もありトップ下での経験を積んでいる。そして、左SBではフクスの不調もあり、コラシナツがシーズン途中からスタメンに定着している。もう一人はマックス・マイヤーである。彼もドイツの将来を支える若き大器と言われている。このような環境が、彼がシャルケ入りを望んだ理由の一つとなったようだ。
なお、このほかにはライバルの黄色いチームからフェリペ・サンタナが移籍している。同じブラジル出身のバストスと仲が良いそうだ。そして、ケルンからクレメンスが移籍した。昨年末のドイツ杯(DFBポカール)のシュトゥットガルト戦では、走り込んでクロスをペナルティエリア前で受け、トラップでDFをかわし得点を決めていた。左右の足で強烈なミドルを決め、走り込んでワンタッチゴールを決め、FKも決めることができる。イスラエルで行われた先のU-21欧州選手権においてもホルトビー率いるドイツ代表として全試合に出場している(ロシアに勝利しているが、オランダとスペインに負けグループステージで敗退)。なお、U-21とあるが、これは予選開始時の年齢制限であり、本大会時には23歳以下の大会となっている。クレメンスは現在21歳である。
★ゲッツェの入団会見問題
ドルトムントからバイエルンに移籍したゲッツェの入団会見が7月2日に行われた。そこでゲッツェはクラブのスポンサーであるアディダス製のユニフォームを持ちカメラに笑顔を向けているが、その着用しているTシャツの胸には大きくNIKEと書かれていた。そして怒るアディダス。そして謝るバイエルン。
3冠を達成した昨期のバイエルンは圧巻であった。補強したダンテ(先のコンフェデのイタリア戦でダビドルイスの怪我により代わりに入りフレッジのシュートのこぼれ球を押しこんだブラジル代表の髪がもさもさしたDFである)、ハビ・マルティネス(先のコンフェデのイタリア戦でトーレスの代わりになぜかワントップの位置に入れられたスペイン代表のボランチである)、そしてマンジュキッチがことごとくあたりスタメンに定着し、マンジュキッチにスタメンを奪われたマリオゴメスは少ない時間でも結果を出し、クロースが怪我をすればミュラーがトップ下に入り右SHにスタメン復帰したロッベンは輝きを取り戻し、メンバー全員がそのクオリティを発揮した。ブンデスではほぼ控えメンバーで臨んだ試合においても大量得点をする本当に手のつけられないチームであった。そんなチームが最大のライバルであるドルトムントからゲッツェを獲得したわけである。
さっそく一つかましたわけだが、刻一刻とデーブスぺクター氏に似てくるゲッツェはバイエルンにおいてどのような輝きを見せるだろうか。
2013年7月3日水曜日
共感と理解のこと
猫好きの気持ちが全く理解できなくとも、猫好きの気持ちを犬好きとして了解することはできるだろう。友好な関係を築くのに必要なのは、共感ではなく理解だ。理解ができなければ問い質せば良いだろう。理解という論理の領域を解消すればよく、共感という価値観の領域をすり合わせる必要はない。
他者に対し違和感を感じてしまうことは避けられない。善かれ悪しかれ事実として価値観は多様だ。とはいえ、共感ができなくとも理解できるならば、相手に対する違和感の属するところは、論理ではなく価値観の領域であると気づくことができる。違和感の属するところが論理の領域であるときは、相手の誤りを指摘し意見を変えさせることができる。しかし、違和感の属するところが価値観の相違にあるときは、あらゆる指摘はブーメランである。相手よりメタに立つこともできない。そのことに気付けば、次の話に進むことができる。そもそもコミュニケーションとはそういうものではなかったか。
他者に対し違和感を感じてしまうことは避けられない。善かれ悪しかれ事実として価値観は多様だ。とはいえ、共感ができなくとも理解できるならば、相手に対する違和感の属するところは、論理ではなく価値観の領域であると気づくことができる。違和感の属するところが論理の領域であるときは、相手の誤りを指摘し意見を変えさせることができる。しかし、違和感の属するところが価値観の相違にあるときは、あらゆる指摘はブーメランである。相手よりメタに立つこともできない。そのことに気付けば、次の話に進むことができる。そもそもコミュニケーションとはそういうものではなかったか。
2013年7月1日月曜日
面接の奇問のこと
世界有数のワールドリーディング気の利いた企業であるGoogleの面接における、「飛行機にはいくつのゴルフボールが入りますか」「マンハッタンにはいくつのガソリンスタンドがありますか」という奇問は、面接における気の利いた質問として有名であった。このような質問を採用する企業は日本にも少なからずあり、一種の流行となっていた。いや、むしろ流行を越え文化になってさえいるとも聞く(話は逸れるが「流行ではなく文化にしたい」という発言を最初にしたのは誰だったのだろう)。
ところが先月16日のニューヨーク・タイムズ紙に以下のような記事が掲載され、ネットでちょっとした話題となっている。Googleの人事担当のバイスプレジデントであるLaszlo Bock氏による発言である。
奇問に関するフォロワー企業は、これを受けてはたして方向転換をするだろうか。非常に気になる。もっとも、時間の無駄というのは、「優秀な者を採用する」という物差しをあてた場合に限られ、「お洒落さをもたらす」という点にこだわるならば、継続するのもありかもしれない(手段は目的との関連でのみ評価されるものだ、ということに関しては以前述べた)。そういった企業のエントリーシートには、白紙の中央に「心か」と一言添えるとよさそうだ。
ちなみに、この次のパラグラフで、Behavioral Interviewは効果があると述べている。「今までの人生で困難を解決した経験を教えてください」といったような質問がこれにあたるようだ。極めて典型的な質問である。奇をてらわず直球でいくやり方が最善だったようだ。おそらくこういった質問に対しては、「状況説明⇒問題点の指摘⇒解決方法」という小論文の定石で組み立て、最後に解決方法を自分が実施した結果について述べるとよさそうだ。小論文の定石と言ったが、日常会話のレベルにおいても、基本的には面倒がらず状況説明から始める方が、結局のところ喋るコストは減ることが多い。遠めの道が見えているときの近道は、だいたい遠回りである。相手と共有している「無言の前提」を測る能力は、人生の多くの局面で非常に重要になっているように思える(本稿において「無言の前提」を測り損ねている可能性があるので付言するが、「心か」とはすなわち『BLEACH』である)。
また、さらにその後のパラグラフでGPAに関しても述べている。新卒以外にはGPAの数値は役に立たないので、卒業して2,3年の人以外にはGPAの提出を求めないようにしたそうだ。このほかにも実践的な気の利いたことが色々載っている。気が利いている。
ところが先月16日のニューヨーク・タイムズ紙に以下のような記事が掲載され、ネットでちょっとした話題となっている。Googleの人事担当のバイスプレジデントであるLaszlo Bock氏による発言である。
On the hiring side, we found that brainteasers are a complete waste of time. How many golf balls can you fit into an airplane? How many gas stations in Manhattan? A complete waste of time. They don’t predict anything. They serve primarily to make the interviewer feel smart.
( http://www.nytimes.com/2013/06/20/business/in-head-hunting-big-data-may-not-be-such-a-big-deal.html )brain teaserというのは「奇問、難問、クイズ」といった意味である。「奇問は完全に時間の無駄だった」と明言している。テーマを与えコミュニケーション能力を測ることに役立つようにも思えるが、全く無駄だと断言していることは興味深い。どうやら様式美としてのお洒落さをもたらす機能しか有していないようだ。しかし、それよりも注目したいのは、調査の結果により判明した事実をもとに、あっさりと意見を転換している点だ。以前述べたような、「頭の良い人の態度(物事を上手くやる人の態度)」、すなわち、前提とする事実に変化があったり誤りがあった場合に「はばかることなく」意見を改めるという態度の典型といえよう。こういった些細な発言まで気が利いている。
奇問に関するフォロワー企業は、これを受けてはたして方向転換をするだろうか。非常に気になる。もっとも、時間の無駄というのは、「優秀な者を採用する」という物差しをあてた場合に限られ、「お洒落さをもたらす」という点にこだわるならば、継続するのもありかもしれない(手段は目的との関連でのみ評価されるものだ、ということに関しては以前述べた)。そういった企業のエントリーシートには、白紙の中央に「心か」と一言添えるとよさそうだ。
ちなみに、この次のパラグラフで、Behavioral Interviewは効果があると述べている。「今までの人生で困難を解決した経験を教えてください」といったような質問がこれにあたるようだ。極めて典型的な質問である。奇をてらわず直球でいくやり方が最善だったようだ。おそらくこういった質問に対しては、「状況説明⇒問題点の指摘⇒解決方法」という小論文の定石で組み立て、最後に解決方法を自分が実施した結果について述べるとよさそうだ。小論文の定石と言ったが、日常会話のレベルにおいても、基本的には面倒がらず状況説明から始める方が、結局のところ喋るコストは減ることが多い。遠めの道が見えているときの近道は、だいたい遠回りである。相手と共有している「無言の前提」を測る能力は、人生の多くの局面で非常に重要になっているように思える(本稿において「無言の前提」を測り損ねている可能性があるので付言するが、「心か」とはすなわち『BLEACH』である)。
また、さらにその後のパラグラフでGPAに関しても述べている。新卒以外にはGPAの数値は役に立たないので、卒業して2,3年の人以外にはGPAの提出を求めないようにしたそうだ。このほかにも実践的な気の利いたことが色々載っている。気が利いている。
2013年6月30日日曜日
クラブ経営のこと
スペインリーグ3部にアルバセテというチームがある。アルバセテは、選手の給料の未払金を一定の期限までに支払わなければ降格のペナルティを受ける危機にあった。そこに現れたのは、バルセロナのイニエスタであった。彼は自費でその未払金を支払い、降格を免れさせたそうだ。イニエスタは当該チームの下部組織に所属していた。2011年から主要株主でもあり、株主としての考慮も働いたであろうが、自分を育てたチームを降格から守るするイニエスタはさすがである。
リーガといえば、今年の1月10日に破産手続開始の発表をしたデポルティーボのことが思い起こされる。スペインの不況もあり、レアルとバルサといういわゆる2強チーム以外の集客力は明確に衰えている。そのような状況において、デポルティーボは破産手続を開始するに至った。リーガには破産によるペナルティはなかったようだが、結局作シーズンを19位で終え、デポルティーボは降格するに至った。上記のアルバセテに適用されるレギュレーションとの違いは気になるが把握することができなかった。
これ対し、例えばセリエAでは、フィオレンティーナが破産により強制降格している(この場合もやはり、強制降格がなされる前から、主力選手を放出せざるを得ず、成績は低迷していた)。各リーグにより破産・再生手続開始に伴うレギュレーションは異なる。チームの強さや格といったものは、やはりチームの財政と大きく関連することから、財政についてのレギュレーションのリーグ間比較は興味深い。
★★★
財政についていえば、クラブの収入の内訳も各リーグにより大きく異なる。いずれのリーグにおいても、収入の大きな柱は放映権料、入場料、グッズ販売の3つである。
セリエAでは、テレビの放映権料がその収入の多くを占めている。6割が放映権料であり、観客収入は1割強にとどまる。また、グッズ販売も他リーグより少ない。これに対し、ブンデスは観客数が世界一であり、入場料やグッズ販売による収入が多い。プレミアは、そのいずれものバランスがとれており、世界で最も多く収入を得ているリーグとなっている。
ではリーガはどうであるか。
リーガといえば、放映権問題である。昨夜、アルバセテに関するニュースとともに、スペイン政府のスポーツ上級委員会の会長がリーガの緊縮財政政策を発表したとのニュースも報じられている。そこで同会長は、テレビ放映権に関する介入も強調している。
リーガは現在テレビ放映権につき、他のリーグが行っているような、一括でリーグが放映権料を集め各クラブに再配分するということを行っていない(よって現状では2強チームが放映権料を他のチームに比してかなり多く得ている。10-11シーズンのデータによると、バルセロナが25.3%、レアル・マドリーが24.1%。そしてリーガ3位のバレンシアにはたった6.5%の放映権があてられるのみである)。これについて会長は、14-15シーズンから一括管理を始めるという方針を示したという。
一括管理がもたらすものは、配分の公平性にとどまらず、放映権の売却もより見込めるようになるという効果も含まれる。現状ではそもそもの放映権料の総額はプレミアやセリエよりもかなり低い額となっている。一括管理を行えば、2強チームは減収となるが、リーグ全体にとっては増収となるだろう。
放映権の一括管理への動きを受け、レアルのペレス会長は、いち早く他の収益手段の確保に向け動いていると言われている。それは、ベルナベウを全面改修し、多目的施設として増収を図るという手だと言われている。CLのブンデス所属チーム同士の決勝も象徴的であったが(前年度も準決勝でレアル、バルサともに敗退しているが、1stレグでの4点差、3点差の試合は世界に衝撃を与えた)、財政面からもリーガは分かりやすく正念場を迎えている。
★★★
日本についてみると、例えば野球ではリーグごとに収益構造が大きく異なる。
セ・リーグは、放映権収入が主なものである。他方で、パ・リーグは、スタジアムを管理する権利をチームが有しており、スタジアム収入が多くを占めるという。具体的には、看板広告の収入はスタジアム収入の典型であるが、それに加え、ボールパークと称し遊園地や娯楽施設としての機能をスタジアムに担わせ収益を上げている。これは先のペレス会長の方針を想起させる。放映権収入からスタジアム収入へと経営戦略の重点が移行しようとしているのは、セ・リーグ型からパ・リーグ型への移行と言えるかもしれない。
★★★
また、政府や地方公共団体といった公共部門とスポーツとの関連も興味深い。例えば、日産スタジアムの指定管理者(公の施設の管理の権限が付与され、管理業務のみならず利用許可などの一定の行政処分も行うことができる)である横浜マリノスが抱える困難であるとか、町田ゼルビアに対し今年のはじめになされた住民監査請求(これ自体の妥当性は別として、市がクラブへ関与することから生じてしまう様々な問題の典型であろう)といったものについては、また機会があれば詳述したい。
入場料収入と地方公共団体について、セリエAのユベントスの例を残しておく。
ユヴェントスは、2011年9月にユヴェントス・スタジアムを設立しており、これにより入場料収入を3倍近く伸ばし、一気に欧州のトップ10に入っている。
何故これまで収入を増やせたかといえば、この新スタジアムが、クラブ自身が所有するスタジアムであるからだ。クラブによるスタジアム所有は、セリエで初となる。その他のクラブが使用するスタジアムは、自治体が所有するものであり、サッカー専用スタジアムではなく、陸上のトラックがあり観客席とピッチが遠いスタジアムがほとんどである。そして、入場料収入についても、スタジアムの所有者である地方公共団体に半分も流れていた(逆にいえば、ユヴェントススタジアムの設立により、市の収入が大幅に減っているともいえる。この流れが続けば、イタリアにおいてまた別の問題を残す余地もありそうだ)。
ユヴェントスは、かつてホームスタジアムとしていたデッレ・アルピ(スタジアム周辺土地を含む)を市との長年の協議の末、市から買い取ることに成功した。これにより、自前のサッカー専用スタジアムとして新スタジアムを設立し、入場料収入を増やすとともに、これまであった陸上トラックが除去された非常にピッチと観客の近いスタジアムを手に入れることとなった。また、この年に無敗優勝を達成し、試合における成功も、収入の増加に寄与していることも忘れてはならない。財政面、結果面でも劇的な改善をした良い例であろう。
リーガといえば、今年の1月10日に破産手続開始の発表をしたデポルティーボのことが思い起こされる。スペインの不況もあり、レアルとバルサといういわゆる2強チーム以外の集客力は明確に衰えている。そのような状況において、デポルティーボは破産手続を開始するに至った。リーガには破産によるペナルティはなかったようだが、結局作シーズンを19位で終え、デポルティーボは降格するに至った。上記のアルバセテに適用されるレギュレーションとの違いは気になるが把握することができなかった。
これ対し、例えばセリエAでは、フィオレンティーナが破産により強制降格している(この場合もやはり、強制降格がなされる前から、主力選手を放出せざるを得ず、成績は低迷していた)。各リーグにより破産・再生手続開始に伴うレギュレーションは異なる。チームの強さや格といったものは、やはりチームの財政と大きく関連することから、財政についてのレギュレーションのリーグ間比較は興味深い。
★★★
財政についていえば、クラブの収入の内訳も各リーグにより大きく異なる。いずれのリーグにおいても、収入の大きな柱は放映権料、入場料、グッズ販売の3つである。
セリエAでは、テレビの放映権料がその収入の多くを占めている。6割が放映権料であり、観客収入は1割強にとどまる。また、グッズ販売も他リーグより少ない。これに対し、ブンデスは観客数が世界一であり、入場料やグッズ販売による収入が多い。プレミアは、そのいずれものバランスがとれており、世界で最も多く収入を得ているリーグとなっている。
ではリーガはどうであるか。
リーガといえば、放映権問題である。昨夜、アルバセテに関するニュースとともに、スペイン政府のスポーツ上級委員会の会長がリーガの緊縮財政政策を発表したとのニュースも報じられている。そこで同会長は、テレビ放映権に関する介入も強調している。
リーガは現在テレビ放映権につき、他のリーグが行っているような、一括でリーグが放映権料を集め各クラブに再配分するということを行っていない(よって現状では2強チームが放映権料を他のチームに比してかなり多く得ている。10-11シーズンのデータによると、バルセロナが25.3%、レアル・マドリーが24.1%。そしてリーガ3位のバレンシアにはたった6.5%の放映権があてられるのみである)。これについて会長は、14-15シーズンから一括管理を始めるという方針を示したという。
一括管理がもたらすものは、配分の公平性にとどまらず、放映権の売却もより見込めるようになるという効果も含まれる。現状ではそもそもの放映権料の総額はプレミアやセリエよりもかなり低い額となっている。一括管理を行えば、2強チームは減収となるが、リーグ全体にとっては増収となるだろう。
放映権の一括管理への動きを受け、レアルのペレス会長は、いち早く他の収益手段の確保に向け動いていると言われている。それは、ベルナベウを全面改修し、多目的施設として増収を図るという手だと言われている。CLのブンデス所属チーム同士の決勝も象徴的であったが(前年度も準決勝でレアル、バルサともに敗退しているが、1stレグでの4点差、3点差の試合は世界に衝撃を与えた)、財政面からもリーガは分かりやすく正念場を迎えている。
★★★
日本についてみると、例えば野球ではリーグごとに収益構造が大きく異なる。
セ・リーグは、放映権収入が主なものである。他方で、パ・リーグは、スタジアムを管理する権利をチームが有しており、スタジアム収入が多くを占めるという。具体的には、看板広告の収入はスタジアム収入の典型であるが、それに加え、ボールパークと称し遊園地や娯楽施設としての機能をスタジアムに担わせ収益を上げている。これは先のペレス会長の方針を想起させる。放映権収入からスタジアム収入へと経営戦略の重点が移行しようとしているのは、セ・リーグ型からパ・リーグ型への移行と言えるかもしれない。
★★★
また、政府や地方公共団体といった公共部門とスポーツとの関連も興味深い。例えば、日産スタジアムの指定管理者(公の施設の管理の権限が付与され、管理業務のみならず利用許可などの一定の行政処分も行うことができる)である横浜マリノスが抱える困難であるとか、町田ゼルビアに対し今年のはじめになされた住民監査請求(これ自体の妥当性は別として、市がクラブへ関与することから生じてしまう様々な問題の典型であろう)といったものについては、また機会があれば詳述したい。
入場料収入と地方公共団体について、セリエAのユベントスの例を残しておく。
ユヴェントスは、2011年9月にユヴェントス・スタジアムを設立しており、これにより入場料収入を3倍近く伸ばし、一気に欧州のトップ10に入っている。
何故これまで収入を増やせたかといえば、この新スタジアムが、クラブ自身が所有するスタジアムであるからだ。クラブによるスタジアム所有は、セリエで初となる。その他のクラブが使用するスタジアムは、自治体が所有するものであり、サッカー専用スタジアムではなく、陸上のトラックがあり観客席とピッチが遠いスタジアムがほとんどである。そして、入場料収入についても、スタジアムの所有者である地方公共団体に半分も流れていた(逆にいえば、ユヴェントススタジアムの設立により、市の収入が大幅に減っているともいえる。この流れが続けば、イタリアにおいてまた別の問題を残す余地もありそうだ)。
ユヴェントスは、かつてホームスタジアムとしていたデッレ・アルピ(スタジアム周辺土地を含む)を市との長年の協議の末、市から買い取ることに成功した。これにより、自前のサッカー専用スタジアムとして新スタジアムを設立し、入場料収入を増やすとともに、これまであった陸上トラックが除去された非常にピッチと観客の近いスタジアムを手に入れることとなった。また、この年に無敗優勝を達成し、試合における成功も、収入の増加に寄与していることも忘れてはならない。財政面、結果面でも劇的な改善をした良い例であろう。
2013年6月26日水曜日
自殺のこと
自ら死を選ぶひとが少ない社会の方がいい(前提1)。おそらく異論のないこの前提から考え始めよう。
死が社会を動かす有用な武器となる社会。これは自ら死を選んでしまうことを助長するだろう。そうだとすると、自ら死を選ぶ人が少ない社会を目指すためには、死に大きな社会的意味を与えてはいけない。WHOの自殺報道ガイドラインにおける「自殺を美化したり、センセーショナルに報じない。」という規定も同様の趣旨であろう。また、あえて付記する必要はないかもしれないが、これは死者を悼む思いとは両立する別の話である。
ネットでのバッシングはどうするべきか。相手の打たれ強さは他人には分からない。そうだとすると、なるべく叩くことを避けるべきだろう。「過度に叩くことを」と言えないのは、相手の打たれ強さが分からないからだ。少なくとも言って後悔することは言わない方がいいだろう。逆に、後悔しないのであれば、仮に相手が死んでしまったからといって意見を変える必要はないだろう。意見を変えてしまうのなら、最初からそのようなことを言うべきではないし、何より死が武器となってしまう。いずれにせよ、第三者が見知らぬ他者に関わる際には、先立って熟慮が必要であろう。
もっとも、公人は、叩く必要が一定程度あり得るだろう(前提2)。ここには異論はないだろう。
しかし前提1をできるだけ害さない必要がある。叩くことはどの程度まで認められるだろうか。
相手の打たれ強さが分からないことから、客観的な程度を定めることができない。前提1を優先的に維持するとすれば、「死を選んでしまう可能性があるからまったく批判はすべきでない」となるだろう。しかしこれは誰も支持しない意見だろう。
むしろ、異論ない考え方は「死を選ばせる可能性はあるが批判はすべきだ」というものだろう。批判は常に死を選ばせてしまう可能性を孕んでいる。これは避けられない。我々の多くが、この「死を選ばせる可能性はあるが批判はすべきだ」という考え方を持っているのだということを、まず強く認識することは重要であろう。
では二つの異論ない前提を両立させることは本当にできないのだろうか。方法があるとすれば、批判される側が打たれ強くあるべきだ、というものしかないだろう。公人にはこのことがより強く求められるだろう。打たれ強くある決意ができないのではあれば、それとセットである公人になるという決意をすべきではないだろう。もっとも、すべての人にとって、批判される側の事情は他人事ではない。以前にも述べたが、単純に、なるべく仲間をつくり、なるべく強く生きなけけらばならないのだろう。
自殺とは、親がいれば、その人の子を殺す行為であり、友人がいれば、その人の友人を殺す行為である。また、まったく関係のない人の気分を害する行為でもある。こういった自殺の性質が武器としての機能を果たすことは、阻止すべきであろう。繰り返しになるが、これは死者を悼む思いとは両立する別の話である。そして、論理必然ではないが、仮に誰かが自殺したとすれば、筆者は死者を悼む思いからこの記事を記すだろう。
(事実は分からない。以前述べた通り、我々は常に「仮にこういう事実があったらこうだよね」という意見しか言い得ない。多くの場合わざわざ付言しないが、意見を言うときは常に「仮にこういう事実があったら」が省略されている。)
死が社会を動かす有用な武器となる社会。これは自ら死を選んでしまうことを助長するだろう。そうだとすると、自ら死を選ぶ人が少ない社会を目指すためには、死に大きな社会的意味を与えてはいけない。WHOの自殺報道ガイドラインにおける「自殺を美化したり、センセーショナルに報じない。」という規定も同様の趣旨であろう。また、あえて付記する必要はないかもしれないが、これは死者を悼む思いとは両立する別の話である。
ネットでのバッシングはどうするべきか。相手の打たれ強さは他人には分からない。そうだとすると、なるべく叩くことを避けるべきだろう。「過度に叩くことを」と言えないのは、相手の打たれ強さが分からないからだ。少なくとも言って後悔することは言わない方がいいだろう。逆に、後悔しないのであれば、仮に相手が死んでしまったからといって意見を変える必要はないだろう。意見を変えてしまうのなら、最初からそのようなことを言うべきではないし、何より死が武器となってしまう。いずれにせよ、第三者が見知らぬ他者に関わる際には、先立って熟慮が必要であろう。
もっとも、公人は、叩く必要が一定程度あり得るだろう(前提2)。ここには異論はないだろう。
しかし前提1をできるだけ害さない必要がある。叩くことはどの程度まで認められるだろうか。
相手の打たれ強さが分からないことから、客観的な程度を定めることができない。前提1を優先的に維持するとすれば、「死を選んでしまう可能性があるからまったく批判はすべきでない」となるだろう。しかしこれは誰も支持しない意見だろう。
むしろ、異論ない考え方は「死を選ばせる可能性はあるが批判はすべきだ」というものだろう。批判は常に死を選ばせてしまう可能性を孕んでいる。これは避けられない。我々の多くが、この「死を選ばせる可能性はあるが批判はすべきだ」という考え方を持っているのだということを、まず強く認識することは重要であろう。
では二つの異論ない前提を両立させることは本当にできないのだろうか。方法があるとすれば、批判される側が打たれ強くあるべきだ、というものしかないだろう。公人にはこのことがより強く求められるだろう。打たれ強くある決意ができないのではあれば、それとセットである公人になるという決意をすべきではないだろう。もっとも、すべての人にとって、批判される側の事情は他人事ではない。以前にも述べたが、単純に、なるべく仲間をつくり、なるべく強く生きなけけらばならないのだろう。
自殺とは、親がいれば、その人の子を殺す行為であり、友人がいれば、その人の友人を殺す行為である。また、まったく関係のない人の気分を害する行為でもある。こういった自殺の性質が武器としての機能を果たすことは、阻止すべきであろう。繰り返しになるが、これは死者を悼む思いとは両立する別の話である。そして、論理必然ではないが、仮に誰かが自殺したとすれば、筆者は死者を悼む思いからこの記事を記すだろう。
(事実は分からない。以前述べた通り、我々は常に「仮にこういう事実があったらこうだよね」という意見しか言い得ない。多くの場合わざわざ付言しないが、意見を言うときは常に「仮にこういう事実があったら」が省略されている。)
2013年6月25日火曜日
Jリーグの集客のこと
国内組はなぜ代表に呼ばれないのか、という問題提起が大きく持ち上がっている。コンフェデ後にまたゼロから代表選手の選考をする、という話がある。そして、間近に迫る東アジア選手権。上記の問題提起が持ち上がるには十分な背景がある。
他方で、サッカーがいかにメンタルのスポーツであるか、ということもコンフェデで改めて浮き彫りになったといえるが、国内組と海外組の形式的な違いは、ここに関連しそうである。代表の主力である本田選手や内田選手は、「勝ち癖」という言葉を以前からよく用いており、今回も敗戦の理由としてこの言葉を提出している。「勝ち癖」というのは、当然、「世界レベルの試合における勝ち癖」を意味するであろう。イタリア戦で前半終了間際、ピルロがCKに急いで日本の準備が整わないうちにリスタートをし、デロッシのゴールが決まったあのシーン。給水をしていた遠藤選手と前田選手が象徴的に画面に映し出されていた。いずれも日本を代表する高い能力を持った二人だ。
Jリーグのレベルはどのようにしたら上がるのだろうか。素朴に考えてみようと思う。
まず、能力が高い選手を連れてきたり雇ったりするためには、お金が必要だ。Jリーグのチームの主な収入源は、スポンサー収入(広告料など)とサポーター収入(入場料、グッズ販売による収益など)だ。集客力を高めることが決定的に重要だということは感覚的に分かる。もしかしたら、身体能力の高い子どもが、他のスポーツではなくサッカーで一流になることを目指すようになる、ということも必要かもしれない。いずれにせよ、Jリーグへの関心、サッカーへの関心を高めることが必要そうだ。
ここで、「人々の価値観を変えよう」というアプローチがあり得るが、個人的には賛成できない。都民の多くが望んでいないことがデータとして明白に表れていたのに、「東京でオリンピックを開催することは善きことだ」という個人的な信念の下で、他人の価値観を変更しようとするのは、あまり褒められたことに見えなかったからだ。また、何事も、北風作戦よりは太陽作戦の方が上手くいくように思える。いずれにせよ、既存の価値観をもったまま、人々がJリーグに関心を持つようになる方法がないのかを考えていきたい。
スポーツの楽しみ方は、大きく分けて二つある。
まず、レベルの高さを楽しむという観点がある。しかし、明白により優れたリーグが海外にある以上、この観点からはJリーグへの関心がそれほど高まらないであろう。
次に、ストーリーを楽しむ、という観点がある。使えるとすればこの観点だろう。熱心なサッカーファンも、映画のように試合を楽しむことがあるだろう。それは試合の内側においてもそうであるし、背景的なものを含んだ物語である場合もあるだろう。ここ1ヶ月くらいのことで言えば、CLに優勝した後のドイツカップ決勝という現体制最後の試合でマリオゴメスが先発起用されたことや(しかも2点もとった!)、あるいはヴォルフスブルクに移籍したペリシッチがドルトムント相手に活躍した(2点もとった!)ことは、ストーリーとしてもぐっとくるものがあった。
駅伝や高校サッカーが比較的広い層に楽しまれている理由はこの点にあるだろう。レベルの高さという点では他の大会に劣るこれらが、広い層に受け入れられているのは、汗と涙のストーリーがあるからだ。前日から周到に各校の歴史的背景、因縁を伝える番組が組まれ、また、試合後のロッカールームの映像が流される。これらを知るからこそ、ぐっとくる。
Jリーグにおいても、これができないだろうか。
こういった発想は当然に生まれるものであり、例えば実際にいくつかの地方で、地元チームの応援番組が放送されている。しかし、多くの場合これらは深夜帯または早朝(セレッソなど)に放送されるものであり、今年の3月には、「グランパスTVプラス」という19年間続いたグランパスの応援番組が終了したことが話題となったように、こういった番組は熱心なファンをつなぎとめることには役立っても、新規のファンを獲得する役割を担うのは困難だといえそうだ。
では、どのような方法が考えられるか。次の機会に書ければと思う。
他方で、サッカーがいかにメンタルのスポーツであるか、ということもコンフェデで改めて浮き彫りになったといえるが、国内組と海外組の形式的な違いは、ここに関連しそうである。代表の主力である本田選手や内田選手は、「勝ち癖」という言葉を以前からよく用いており、今回も敗戦の理由としてこの言葉を提出している。「勝ち癖」というのは、当然、「世界レベルの試合における勝ち癖」を意味するであろう。イタリア戦で前半終了間際、ピルロがCKに急いで日本の準備が整わないうちにリスタートをし、デロッシのゴールが決まったあのシーン。給水をしていた遠藤選手と前田選手が象徴的に画面に映し出されていた。いずれも日本を代表する高い能力を持った二人だ。
Jリーグのレベルはどのようにしたら上がるのだろうか。素朴に考えてみようと思う。
まず、能力が高い選手を連れてきたり雇ったりするためには、お金が必要だ。Jリーグのチームの主な収入源は、スポンサー収入(広告料など)とサポーター収入(入場料、グッズ販売による収益など)だ。集客力を高めることが決定的に重要だということは感覚的に分かる。もしかしたら、身体能力の高い子どもが、他のスポーツではなくサッカーで一流になることを目指すようになる、ということも必要かもしれない。いずれにせよ、Jリーグへの関心、サッカーへの関心を高めることが必要そうだ。
ここで、「人々の価値観を変えよう」というアプローチがあり得るが、個人的には賛成できない。都民の多くが望んでいないことがデータとして明白に表れていたのに、「東京でオリンピックを開催することは善きことだ」という個人的な信念の下で、他人の価値観を変更しようとするのは、あまり褒められたことに見えなかったからだ。また、何事も、北風作戦よりは太陽作戦の方が上手くいくように思える。いずれにせよ、既存の価値観をもったまま、人々がJリーグに関心を持つようになる方法がないのかを考えていきたい。
スポーツの楽しみ方は、大きく分けて二つある。
まず、レベルの高さを楽しむという観点がある。しかし、明白により優れたリーグが海外にある以上、この観点からはJリーグへの関心がそれほど高まらないであろう。
次に、ストーリーを楽しむ、という観点がある。使えるとすればこの観点だろう。熱心なサッカーファンも、映画のように試合を楽しむことがあるだろう。それは試合の内側においてもそうであるし、背景的なものを含んだ物語である場合もあるだろう。ここ1ヶ月くらいのことで言えば、CLに優勝した後のドイツカップ決勝という現体制最後の試合でマリオゴメスが先発起用されたことや(しかも2点もとった!)、あるいはヴォルフスブルクに移籍したペリシッチがドルトムント相手に活躍した(2点もとった!)ことは、ストーリーとしてもぐっとくるものがあった。
駅伝や高校サッカーが比較的広い層に楽しまれている理由はこの点にあるだろう。レベルの高さという点では他の大会に劣るこれらが、広い層に受け入れられているのは、汗と涙のストーリーがあるからだ。前日から周到に各校の歴史的背景、因縁を伝える番組が組まれ、また、試合後のロッカールームの映像が流される。これらを知るからこそ、ぐっとくる。
Jリーグにおいても、これができないだろうか。
こういった発想は当然に生まれるものであり、例えば実際にいくつかの地方で、地元チームの応援番組が放送されている。しかし、多くの場合これらは深夜帯または早朝(セレッソなど)に放送されるものであり、今年の3月には、「グランパスTVプラス」という19年間続いたグランパスの応援番組が終了したことが話題となったように、こういった番組は熱心なファンをつなぎとめることには役立っても、新規のファンを獲得する役割を担うのは困難だといえそうだ。
では、どのような方法が考えられるか。次の機会に書ければと思う。
2013年6月22日土曜日
岡崎慎司のこと
サッカー少年がそのままの情熱で大人になったと思わせる風貌。小学校の頃、このような風貌の同級生が誰にでもいたはずだ。やはり、このような人物こそ世界で認められて欲しい。そして、ここにコンフェデという素晴らしい舞台がある。これに出られなかったことでほんの少しオシムさんに恨みを思ってしまうほど大事な大会である。
ブラジル戦では、1トップ起用。今年1月のヴォルフスブルク戦において、イビセビッチが出場停止の際、1トップ起用された岡崎はなにもできなかった(試合はジエゴにやられた。ユーべでは輝けず、マガトには外され、ブラジル代表としてはカカがいるため出場できず、という選手。ではあるが、非常に優れた選手だ。ブラジルはすごい)。その試合以来に見る岡崎のワントップ。やはり多くのことはできなかった。ファールをとるべく消極的に倒れこむシーンが多かった。 しかも、そのうちの多くは攻撃の正体がつかめない倒れ方であった。前田が入り右SHに移ってからは、守備面ではマルセロにうまく対応できていたように見えた。とはいえチーム全体のメンタルにおいて、もはやどうにもならなかったようだ。
しかし、イタリア戦。 ザキオカPK奪取。ザキオカターン。ザキオカルーレット。ザキオカピルロからのボール奪取。ザキオカダッシュ。ザキオカヘッド。…といった素晴らしい岡崎選手が見られた。長めのパス以外はほとんど成功していたように思えた。
昨シーズン終盤、シャルケ戦で自陣ゴールに長距離ドリブルをして、アシストを決めた男と、同一人物である。ドイツの方々も非常に驚いたことであろう。スペイン紙では「日本にはオリベルアトム(キャプテン翼)がいた」と評されたとか。彼は間違いなく世界をいくらか驚かせた。本当に嬉しい。今夜のメキシコ戦。非常にわくわくしている。 良い就活になってほしい。
サッカー好きにとって、サッカー選手は憧れの対象そのものである。 もはや代表ではレジェンド級の結果を残している岡崎選手は本当にかっこいい。代表戦のスタジアムで、自分のユニを着ているサポが少ないことを気にする岡崎選手。毛髪の量を気にして長髪にしていたと告白する岡崎選手。サッカー少年がそのままの情熱で大人になったと思わせる岡崎選手。ありのままの岡崎選手でがんばってください。
ブラジル戦では、1トップ起用。今年1月のヴォルフスブルク戦において、イビセビッチが出場停止の際、1トップ起用された岡崎はなにもできなかった(試合はジエゴにやられた。ユーべでは輝けず、マガトには外され、ブラジル代表としてはカカがいるため出場できず、という選手。ではあるが、非常に優れた選手だ。ブラジルはすごい)。その試合以来に見る岡崎のワントップ。やはり多くのことはできなかった。ファールをとるべく消極的に倒れこむシーンが多かった。 しかも、そのうちの多くは攻撃の正体がつかめない倒れ方であった。前田が入り右SHに移ってからは、守備面ではマルセロにうまく対応できていたように見えた。とはいえチーム全体のメンタルにおいて、もはやどうにもならなかったようだ。
しかし、イタリア戦。 ザキオカPK奪取。ザキオカターン。ザキオカルーレット。ザキオカピルロからのボール奪取。ザキオカダッシュ。ザキオカヘッド。…といった素晴らしい岡崎選手が見られた。長めのパス以外はほとんど成功していたように思えた。
昨シーズン終盤、シャルケ戦で自陣ゴールに長距離ドリブルをして、アシストを決めた男と、同一人物である。ドイツの方々も非常に驚いたことであろう。スペイン紙では「日本にはオリベルアトム(キャプテン翼)がいた」と評されたとか。彼は間違いなく世界をいくらか驚かせた。本当に嬉しい。今夜のメキシコ戦。非常にわくわくしている。 良い就活になってほしい。
サッカー好きにとって、サッカー選手は憧れの対象そのものである。 もはや代表ではレジェンド級の結果を残している岡崎選手は本当にかっこいい。代表戦のスタジアムで、自分のユニを着ているサポが少ないことを気にする岡崎選手。毛髪の量を気にして長髪にしていたと告白する岡崎選手。サッカー少年がそのままの情熱で大人になったと思わせる岡崎選手。ありのままの岡崎選手でがんばってください。
2013年6月15日土曜日
意見・戦略形成のこと
「過ちては改むるにはばかること勿れ」とは論語にある教えだという。まったく知らなかった。これは林修氏の著書『いつやるか? 今でしょ!』の冒頭に記載された言葉でもある。ある機会で偶々いただいたこの本の前書きに完全に引き込まれた。中高、大学の先輩でもある林修氏。いつかお会いしてみたいものである。
人生において常々、「頭の良い人物」、つまり「物事を上手くやる人物」、より実践的な呼び方をするのであれば「モテる人物」とは、前提となる事実が変化したときにすぐに意見・戦略を変更できる人物だと感じてきた。まさにこの論語にある言葉、林修氏が引いた言葉の通りだ。「大体の人の悩みは昔の人が解決している」という林修氏がテレビで述べていたことが端的に示された形でもある。すべての意見・戦略は、「仮に××という前提があれば、こうだ」というものにすぎない。そして、事実に関する情報は常に十全ではなく、また、変化しさえする。事実が変化したり、事実の把握を誤り失敗した際には、はばかることなく迅速に柔軟に意見・戦略を修正すべきなのだろう。
意見・戦略の修正においては 、「事実評価に先立って事実認定がある」ということを認識することが重要だといえる。我々の日常における選択は3つの過程を経る。(1)情報を集め事実を認定し、(2)認定した事実を評価し、そして(3)事実の評価に基づき戦略を立てる、というものだ(「論理」より前に「事実」が来るのである。これを取り違えるのは最悪の誤りである。用意した「論理」「枠組」からしか物事を考えられないのは、面接に来てコミュニケーションを図ろうとしない滑稽な学生のようである)。戦略を見直すには、まず事実の認定の部分から見直す必要があるだろう。これは、頭ではわかっていてもなかなか難しい。違う梯子を登るには、いったん今まで登ってきた梯子を降りる必要があり、これは明らかに面倒であるからだ。面倒さを感じなくなるほどに実践することが近道なのかもしれない。
★★★
ファイヤアーベントという人物がいた。
彼は、極度の相対主義者、普遍化の要求を拒む頑固な人物として評されることが多い。自明とされている様々なことをあえて疑ってみる、という姿勢が彼の根本にある。しかし、彼は本当に頑固なのだろうか。むしろその逆であるように思える。彼の言っていた「知のダイナミズム」とは、前提命題を疑い続けるという態度であるが、これは先ほど目指すべきだと述べた「常に事実の認定の部分から見直す態度」のような、極めて柔軟なものである。彼は柔軟であるということについて頑固であったのだ。この態度は、人生を上手くやるために見習うべき態度といえないか。
自明だと思っていたことを疑ってみること、これがファイヤアーベントの実践してきた態度の主要なものであった。「今考えていることの逆が正解だ」と述べたFF6のセッツァーさんのような心持ちが必要なのかもしれない。ちなみに林修先生のWikipediaの「影響を受けたもの」の欄に「村上陽一郎」という名前があった。彼はファイヤアーベントの著作の翻訳者でもある。
現在、比較的容易に入手できる書籍として『知についての三つの対話』というものがある。これはプラトン以来の対話方式を用いて綴られる内容となっている。事実として世界は「とりとめなし、結論なし」である以上、事実として人間の価値観は多様である以上、世界を、人間ををより的確に記述するためには、一人の主体に語らせるのではなく、とりとめないが全体として本質に近づいていく、という対話方式が適していると考えたのであろう。当ブログが多くの場合、結論ではなくメモとして手掛かりのみを羅列的に示しているのも同様の趣旨である(かもしれない)。
ファイヤアーベントに関する書籍は、彼の思考の質からすれば少なすぎるように思える。その著作のほとんどがファイヤアーベントの焼き直しである竹内薫氏あたりが解説書のようなものを書くことをささやかに期待したい。
★★★
先人から教訓を譲り受けるということは、感動的ですらある。
そして、ここでは先人の定義を拡張する必要がある。生きている人間も、そして年下であってもある領域において先をいっているような人も含む方が良さそうだ。
ジョジョ7部におけるジョニィに対するジャイロのように、「先人」との出会いは、人生を上手くやるという点において重要な役割を果たしうる。また、テレビに映った長友選手の本棚に、様々な自己啓発的な書籍が並んでいたことも思い出される。自分の中で信念や戦略を形成しつつ、それを修正していくのが人生なのだろう。
ときには先人の手を借りることが手っ取り早くてよいのかもしれない。手っ取り早さ、というのもまた、有限の人生の中で重要なことであろう。例えば、学生時代、家庭教師のバイトをしているとき、数学はすぐに解答を読ませることで成績を上げさせてきた。自分自身もそうだった。芸術においてもそうかもしれない。例えば、ピカソは「芸術とは盗むことだ」、ダリは「なにもマネしたくないと言ってる奴はなにもつくれない」と言ったらしい(これは個人的にはあまり同意できないが)。なんであれ、手っ取り早さ、というのは人生において重要そうだ。
人生において常々、「頭の良い人物」、つまり「物事を上手くやる人物」、より実践的な呼び方をするのであれば「モテる人物」とは、前提となる事実が変化したときにすぐに意見・戦略を変更できる人物だと感じてきた。まさにこの論語にある言葉、林修氏が引いた言葉の通りだ。「大体の人の悩みは昔の人が解決している」という林修氏がテレビで述べていたことが端的に示された形でもある。すべての意見・戦略は、「仮に××という前提があれば、こうだ」というものにすぎない。そして、事実に関する情報は常に十全ではなく、また、変化しさえする。事実が変化したり、事実の把握を誤り失敗した際には、はばかることなく迅速に柔軟に意見・戦略を修正すべきなのだろう。
意見・戦略の修正においては 、「事実評価に先立って事実認定がある」ということを認識することが重要だといえる。我々の日常における選択は3つの過程を経る。(1)情報を集め事実を認定し、(2)認定した事実を評価し、そして(3)事実の評価に基づき戦略を立てる、というものだ(「論理」より前に「事実」が来るのである。これを取り違えるのは最悪の誤りである。用意した「論理」「枠組」からしか物事を考えられないのは、面接に来てコミュニケーションを図ろうとしない滑稽な学生のようである)。戦略を見直すには、まず事実の認定の部分から見直す必要があるだろう。これは、頭ではわかっていてもなかなか難しい。違う梯子を登るには、いったん今まで登ってきた梯子を降りる必要があり、これは明らかに面倒であるからだ。面倒さを感じなくなるほどに実践することが近道なのかもしれない。
★★★
ファイヤアーベントという人物がいた。
彼は、極度の相対主義者、普遍化の要求を拒む頑固な人物として評されることが多い。自明とされている様々なことをあえて疑ってみる、という姿勢が彼の根本にある。しかし、彼は本当に頑固なのだろうか。むしろその逆であるように思える。彼の言っていた「知のダイナミズム」とは、前提命題を疑い続けるという態度であるが、これは先ほど目指すべきだと述べた「常に事実の認定の部分から見直す態度」のような、極めて柔軟なものである。彼は柔軟であるということについて頑固であったのだ。この態度は、人生を上手くやるために見習うべき態度といえないか。
自明だと思っていたことを疑ってみること、これがファイヤアーベントの実践してきた態度の主要なものであった。「今考えていることの逆が正解だ」と述べたFF6のセッツァーさんのような心持ちが必要なのかもしれない。ちなみに林修先生のWikipediaの「影響を受けたもの」の欄に「村上陽一郎」という名前があった。彼はファイヤアーベントの著作の翻訳者でもある。
現在、比較的容易に入手できる書籍として『知についての三つの対話』というものがある。これはプラトン以来の対話方式を用いて綴られる内容となっている。事実として世界は「とりとめなし、結論なし」である以上、事実として人間の価値観は多様である以上、世界を、人間ををより的確に記述するためには、一人の主体に語らせるのではなく、とりとめないが全体として本質に近づいていく、という対話方式が適していると考えたのであろう。当ブログが多くの場合、結論ではなくメモとして手掛かりのみを羅列的に示しているのも同様の趣旨である(かもしれない)。
ファイヤアーベントに関する書籍は、彼の思考の質からすれば少なすぎるように思える。その著作のほとんどがファイヤアーベントの焼き直しである竹内薫氏あたりが解説書のようなものを書くことをささやかに期待したい。
★★★
先人から教訓を譲り受けるということは、感動的ですらある。
そして、ここでは先人の定義を拡張する必要がある。生きている人間も、そして年下であってもある領域において先をいっているような人も含む方が良さそうだ。
ジョジョ7部におけるジョニィに対するジャイロのように、「先人」との出会いは、人生を上手くやるという点において重要な役割を果たしうる。また、テレビに映った長友選手の本棚に、様々な自己啓発的な書籍が並んでいたことも思い出される。自分の中で信念や戦略を形成しつつ、それを修正していくのが人生なのだろう。
ときには先人の手を借りることが手っ取り早くてよいのかもしれない。手っ取り早さ、というのもまた、有限の人生の中で重要なことであろう。例えば、学生時代、家庭教師のバイトをしているとき、数学はすぐに解答を読ませることで成績を上げさせてきた。自分自身もそうだった。芸術においてもそうかもしれない。例えば、ピカソは「芸術とは盗むことだ」、ダリは「なにもマネしたくないと言ってる奴はなにもつくれない」と言ったらしい(これは個人的にはあまり同意できないが)。なんであれ、手っ取り早さ、というのは人生において重要そうだ。
2013年6月14日金曜日
善意と善行のこと
「何をすれば相手が喜ぶか分からないときには、(1)自分がされたくないことはせず、(2)自分がされて嬉しいと思うことをすればいい。わからないからって何もせず委縮すると善行はなされない」という趣旨の主張を見かけた。
これは実は怖い世界観なのではないだろうか。
例えば医療の分野では、行為規範として医療四原則というものがある。それは「無危害」「善行」「配分的正義」「自律尊重」の四つだ。これは様々な分野で成立する素敵な行為規範だと思われる。本稿では、「善行」に優先される「無危害」という重大な原則がある、また、「善意」による行為=「善行」ではない、ということを喚起する話ができればと思う。
★★★
まず、「行為者の意図は多くの場合重要ではない」ということを思い出すべきだ(「多くの場合」と留保をつけたのは、親密な間柄では例外的に意図そのものが意味を持ちうるからだ)。これを否定すると「善意」=「善行」と考えることにつながってしまう。しかし、行為の目的が相手を喜ばせることにあるのであれば、重要なのは相手方の主観だろう。
「そんなつもりじゃなかった」「あなたのためを思ってやったことだから」といったような、行為者が自らの意図を語る姿を見たことは、誰にでもあるだろう。これらの言い回しのように、行為者の意図はそもそも基本的には言い訳として外部に出される。しかし、行為を行うに際して重要なのは、「行為者の主観」ではなく、「被行為者の主観」や「行為によって生じる結果」の方だろう。行為者の主観の解説は、「この行為は善意によるものなので善行として受け取ってください」という、善意で行為を正当化しようとする意味しかもたない。
「善意」から行われる行為を「善行」だと確信して他者に何かを働きかける行動すること、事後的にそれを解説すること、これらはあまり褒められたものではないだろう。
★★★
(1)「自分がされたくないことはしない」というのは素晴らしい行為規範だろう。他方で、(2)「相手が何をしてほしいか分からないときは自分がされて嬉しいことをする」というそれは、結構怖い。
確かに、親密な間柄であればこの(2)の行為規範を適用することは自然なことかもしれない。親密とはそもそもそういうことだろう。善意(意図)自体が嬉しいからである。
しかしながら、親密な間柄というものは当然、かなり例外的な状況だ。社会で生活するほぼすべての人は、親密ではない。広く知らない相手に対しても当該行為規範を適用しようとするならば、この行為規範は恐ろしいものであるといえ、その前提としている世界観は恐ろしいものである。
後者の行為規範を信じている人物は、(A)「価値観はびっくりするほど多様である」という事実を否定した(あるいは知らない)世界観の持ち主か、(B)(価値観は多様であり自己の主観から他者の受け取り方を類推することはできないことを認識しつつも)行為が生み出す結果や相手の主観は置いて、自己の意図によって行為を正当化しようとしている人物であろう。そして、そのような人物が(2)の行為規範を適用し身勝手に行動することにより、被行為者はただただリスクを負わされるのだ。
「善意による行為」=「善行」ではないことを認識すべきだ。また、被行為者が行為者に何かしらの干渉の契機を与えたのではない限り、「善行」(干渉)よりも「無危害」(不干渉)が優先されるべきだ(なぜなら被行為者が一方的にいリスクを負わされるからだ)。仮に「善行」が「無危害」に優先される理由はないと考えても、「善行」であるか否かが事前には不確かな場合には、「無危害」を優先すべきだとはいえるはずだ(なぜなら被行為者が一方的にリスクを負わされるからだ)。事実として価値観は均質ではない。そして、なによりも重要なのは、「私と相手は親密な間柄にある」という誤解をしないことだ(なぜなら被行為者が一方的に…)。職場が同じであったり、クラスが同じであったり、あるいは親子であると、ついつい親密な間柄だと思ってしまいがちだろう。しかしこれらは当事者が選びとった関係ではない。本当に相手と親密な間柄にあるかをもう一度考え直すことは重要であろう。
何か善行を行いたいのであれば、相手の選好を端的に尋ねればよいのだ。それによってリスクの発生は基本的には防止できる。その方が行為者自身にとっても被行為者にとっても幸せなはずだ。喜ばれるサプライズは、親密な間柄においてのみ成立する。
リスクを被るのは相手だ。「何もしない」という選択肢を、忘れるべきではないだろう。
★★★
「親密な」の定義は曖昧だ。かわいい女の子やイケメンだったら、交流がなくてもこの定義に含まれるだろう。意図自体で相手方の嬉しさを発生させるからだ。かわいいは正義とはそのような意味だと解される。
これは実は怖い世界観なのではないだろうか。
例えば医療の分野では、行為規範として医療四原則というものがある。それは「無危害」「善行」「配分的正義」「自律尊重」の四つだ。これは様々な分野で成立する素敵な行為規範だと思われる。本稿では、「善行」に優先される「無危害」という重大な原則がある、また、「善意」による行為=「善行」ではない、ということを喚起する話ができればと思う。
★★★
まず、「行為者の意図は多くの場合重要ではない」ということを思い出すべきだ(「多くの場合」と留保をつけたのは、親密な間柄では例外的に意図そのものが意味を持ちうるからだ)。これを否定すると「善意」=「善行」と考えることにつながってしまう。しかし、行為の目的が相手を喜ばせることにあるのであれば、重要なのは相手方の主観だろう。
「そんなつもりじゃなかった」「あなたのためを思ってやったことだから」といったような、行為者が自らの意図を語る姿を見たことは、誰にでもあるだろう。これらの言い回しのように、行為者の意図はそもそも基本的には言い訳として外部に出される。しかし、行為を行うに際して重要なのは、「行為者の主観」ではなく、「被行為者の主観」や「行為によって生じる結果」の方だろう。行為者の主観の解説は、「この行為は善意によるものなので善行として受け取ってください」という、善意で行為を正当化しようとする意味しかもたない。
「善意」から行われる行為を「善行」だと確信して他者に何かを働きかける行動すること、事後的にそれを解説すること、これらはあまり褒められたものではないだろう。
★★★
(1)「自分がされたくないことはしない」というのは素晴らしい行為規範だろう。他方で、(2)「相手が何をしてほしいか分からないときは自分がされて嬉しいことをする」というそれは、結構怖い。
確かに、親密な間柄であればこの(2)の行為規範を適用することは自然なことかもしれない。親密とはそもそもそういうことだろう。善意(意図)自体が嬉しいからである。
しかしながら、親密な間柄というものは当然、かなり例外的な状況だ。社会で生活するほぼすべての人は、親密ではない。広く知らない相手に対しても当該行為規範を適用しようとするならば、この行為規範は恐ろしいものであるといえ、その前提としている世界観は恐ろしいものである。
後者の行為規範を信じている人物は、(A)「価値観はびっくりするほど多様である」という事実を否定した(あるいは知らない)世界観の持ち主か、(B)(価値観は多様であり自己の主観から他者の受け取り方を類推することはできないことを認識しつつも)行為が生み出す結果や相手の主観は置いて、自己の意図によって行為を正当化しようとしている人物であろう。そして、そのような人物が(2)の行為規範を適用し身勝手に行動することにより、被行為者はただただリスクを負わされるのだ。
「善意による行為」=「善行」ではないことを認識すべきだ。また、被行為者が行為者に何かしらの干渉の契機を与えたのではない限り、「善行」(干渉)よりも「無危害」(不干渉)が優先されるべきだ(なぜなら被行為者が一方的にいリスクを負わされるからだ)。仮に「善行」が「無危害」に優先される理由はないと考えても、「善行」であるか否かが事前には不確かな場合には、「無危害」を優先すべきだとはいえるはずだ(なぜなら被行為者が一方的にリスクを負わされるからだ)。事実として価値観は均質ではない。そして、なによりも重要なのは、「私と相手は親密な間柄にある」という誤解をしないことだ(なぜなら被行為者が一方的に…)。職場が同じであったり、クラスが同じであったり、あるいは親子であると、ついつい親密な間柄だと思ってしまいがちだろう。しかしこれらは当事者が選びとった関係ではない。本当に相手と親密な間柄にあるかをもう一度考え直すことは重要であろう。
何か善行を行いたいのであれば、相手の選好を端的に尋ねればよいのだ。それによってリスクの発生は基本的には防止できる。その方が行為者自身にとっても被行為者にとっても幸せなはずだ。喜ばれるサプライズは、親密な間柄においてのみ成立する。
リスクを被るのは相手だ。「何もしない」という選択肢を、忘れるべきではないだろう。
★★★
「親密な」の定義は曖昧だ。かわいい女の子やイケメンだったら、交流がなくてもこの定義に含まれるだろう。意図自体で相手方の嬉しさを発生させるからだ。かわいいは正義とはそのような意味だと解される。
2013年6月8日土曜日
ルールのこと
「ルールさえ守ればなにやってもいいと思ってるのか!」という発言に対する違和感。
他者に押し付けていい価値観の束は、ルール・法だけだと考えておくべきではないだろうか。これ以外の価値観は、「個人的な価値観」であり、それを他者に押し付けることができると考えることは危険なのではないだろうか。
「個人的な価値観の押しつけ」がなされるのが社会の在り方だとすると、委縮効果が発生してしまう。そして、わざわざ立ち入ってきた第三者たちにより、精神的に傷つけられてしまう。
そういった押しつけをしてしまう側は、自己の行為がただの攻撃であることに気がついていない。押し付けることが正義であるという謎の確信を持ってしまい、積極的に押し付けようとすらしてしまう。攻撃ではなく、社会的な利益のための防御だと思っている。または、攻撃だと認識しているとしても、先に攻撃してきたのは相手だ、と考えてしまうのであろう。社会的な秩序が傷つけられたのだから攻撃していいはずだ、と。しかし、ここでいう社会的利益とは何であろうか。また、それを巧妙に定義付けることが可能であるとしても、他者に介入する道具にすぎない「社会的利益」なるものを、具体的な個人の具体的な利益に優先して認めるべきなのだろうか。
伝統や慣習、通念。ルール・法になっていないがなお必要とされるものはたくさんある。しかしながら、これらは自己を律するものであれ、他者を拘束するためのものではないはずだ。
「ルールは破ってないけどダメ、悪だ!」とする価値観はどこから調達したものかといえば、それは当該発言をする人の個人的な価値観以外にありえない。同様の価値観を偶然に有した人がいるとしても、だからといって個人の価値観が、手続きを経て合意を経た他者に強制可能な価値観と同等の価値をもつわけではない。同様の価値観を有した者たちで集まり、互いの個人的な価値観をエンドースし合い、正義はこちらの側にあるという謎の確信を深める。そしてよってたかって糾弾する。それはやはり危険な状態だといえないか。
ルール・法は、民主的に調達した価値観がもとになっている。代表がつくる、合議でつくる、といった性質から個人の価値観とずれる部分も少なくないであろう。しかし、少なくとも納得がある。事前の合意がある。事前の参加がある。これは押しつけても問題ない価値観の束だ。きちんと用意されている。押しつけていい価値観の束は、きちんと社会に用意されているのだ。また、価値観の束が十分に大きければルール化される道も用意されているし、既存のルールを変更する道もある。
ルール・法の他に、他人に押し付けていい価値観を認めるべきなのだろうか。そもそも価値観が多様であることを前提とすれば、決まりごとはなるべく少ない方がよいはずだ。押しつける側は正当な防御だと勝手に考え堂々とあらゆる人に攻撃をしかけている。わざわざ立ち入って攻撃をしかける第三者はやはり危険なのではないか。
他者に押し付けていい価値観の束は、ルール・法だけだと考えておくべきではないだろうか。これ以外の価値観は、「個人的な価値観」であり、それを他者に押し付けることができると考えることは危険なのではないだろうか。
「個人的な価値観の押しつけ」がなされるのが社会の在り方だとすると、委縮効果が発生してしまう。そして、わざわざ立ち入ってきた第三者たちにより、精神的に傷つけられてしまう。
そういった押しつけをしてしまう側は、自己の行為がただの攻撃であることに気がついていない。押し付けることが正義であるという謎の確信を持ってしまい、積極的に押し付けようとすらしてしまう。攻撃ではなく、社会的な利益のための防御だと思っている。または、攻撃だと認識しているとしても、先に攻撃してきたのは相手だ、と考えてしまうのであろう。社会的な秩序が傷つけられたのだから攻撃していいはずだ、と。しかし、ここでいう社会的利益とは何であろうか。また、それを巧妙に定義付けることが可能であるとしても、他者に介入する道具にすぎない「社会的利益」なるものを、具体的な個人の具体的な利益に優先して認めるべきなのだろうか。
伝統や慣習、通念。ルール・法になっていないがなお必要とされるものはたくさんある。しかしながら、これらは自己を律するものであれ、他者を拘束するためのものではないはずだ。
「ルールは破ってないけどダメ、悪だ!」とする価値観はどこから調達したものかといえば、それは当該発言をする人の個人的な価値観以外にありえない。同様の価値観を偶然に有した人がいるとしても、だからといって個人の価値観が、手続きを経て合意を経た他者に強制可能な価値観と同等の価値をもつわけではない。同様の価値観を有した者たちで集まり、互いの個人的な価値観をエンドースし合い、正義はこちらの側にあるという謎の確信を深める。そしてよってたかって糾弾する。それはやはり危険な状態だといえないか。
ルール・法は、民主的に調達した価値観がもとになっている。代表がつくる、合議でつくる、といった性質から個人の価値観とずれる部分も少なくないであろう。しかし、少なくとも納得がある。事前の合意がある。事前の参加がある。これは押しつけても問題ない価値観の束だ。きちんと用意されている。押しつけていい価値観の束は、きちんと社会に用意されているのだ。また、価値観の束が十分に大きければルール化される道も用意されているし、既存のルールを変更する道もある。
ルール・法の他に、他人に押し付けていい価値観を認めるべきなのだろうか。そもそも価値観が多様であることを前提とすれば、決まりごとはなるべく少ない方がよいはずだ。押しつける側は正当な防御だと勝手に考え堂々とあらゆる人に攻撃をしかけている。わざわざ立ち入って攻撃をしかける第三者はやはり危険なのではないか。
2013年6月3日月曜日
FIFAランクのこと
FIFAランクというと、「実際の強さとは関係がない」という評価が半ば反射的になされるのを目にする。勝ち点を基礎に試合の重要度や対戦相手の強さといった係数をかけて算出するものである以上、強さと無関係というのはさすがに暴論であろう。また、「こんな順位は意味がない」も同様であろう。FIFAランクを基準としてW杯本大会や予選の抽選のポッドが振り分けられる以上、順位自体は意味を持つ。もっとも、強さとの関係の程度等については批判の余地がある。これを検討するにあたっては、「手段は目的との関係で評価すべきだ」ということを念頭に入れておく必要がある。
こうして指摘されている部分に関しては、より納得のいく順位が現れることをFIFAも当然望んでおり、何度か改定を重ねて苦慮している。直近ではドイツW杯後の2006年7月12日に評価方法は改定されている。とりわけ直近4年のすべての国際Aマッチをポイントの対象にする変更は、対戦相手の強さごとの重み付けとあいまって、強豪国間での試合が多い上位国におけるランクをより正確なものとした。
この計算式にはFIFAも満足しているのか、改定後初の南アフリカでのW杯では、ポッド1決定の際に、グループリーグ抽選会前のFIFAランクの上から7カ国をそのまま採用しており、開催国+ランキング上位7位がそのままポッド1とされている(グループリーグでは、ポッド毎にA~Hの組に国を配置していく方式がとられている。つまり、同じポッドに入った他の強豪国とはグループリーグにおいて異なる組に入ることとなる)。もちろん地域の割り振り等を考慮した結果としてこれに落ち着いた可能性もあるが、いずれにせよFIFAランクはランク上位国に対しては重要な考慮要素として用いられている。
以上の通り、FIFAランクは実際の強さと一定の関係があり、また、W杯予選や本大会の組み合わせのポッド分けにおいて実際的な意味を持つ。新しい計算式は、少なくともランク上位国は実際の強さを反映しているように思え、また、実際的な大きな意味を持つのも上位国に限られる(7位前後の国の国民であれば、制度への批判は切実な意味を持つだろう)。W杯の予選もまた、FIFAランクに基づき抽選の割り振りがなされるが、ランクが世界における立ち位置を示さないまでも、同じ予選地域における上下関係について実際の強さを反映していれば足りる。そうだとすると、問題のない計算式であるように思える。
他方で、FIFAのブラッター会長は、W杯のアジア枠を増やすべきだという趣旨の発言を今年の5月にしている。その根拠は、FIFAの収入はアジアが半分を占め、欧州の貢献度は2割以下だという点にあるとされている。ポッド分けにおいて同地域のチームが多くあたらないように工夫したり、考慮要素は表立って言及されるもの以外にも、実に様々あるだろう。その中で、試合結果を基に計算される考慮要素たるFIFAランクは、意外と好ましいものなのではないだろうか。
ちなみにFIFAランクの正式名称は「FIFA/Coca-Cola World Ranking 」である。過去4年の国際Aマッチを対象に計算する。計算式は以下の通りである。思われている以上に係数の値は実は多くの人の主観とマッチするのではないか。
◆マッチポイント
⇒(A)×(B)×(C)×(D)×100
・(A)
⇒勝ち点
⇒勝ち:3、引き分け:1、負け:0。PKのときは勝ち:2、負け:2。
・(B)
⇒試合の重要度
⇒親善試合等:1、大陸選手権予選、W杯予選:2.5、大陸選手権本大会、コンフェデ:3、W杯本大会:4
※「大陸選手権」とは、EURO、アフリカネイションズカップ、コパアメリカ、CONCACAFゴールドカップ、OFCネイションズカップ、アジアカップの6つの大会をいう。今月行われる東アジア選手権は「親善試合等」にあたり、係数は親善試合と同じ1である。
・(C)
⇒対戦国の強さ
⇒対戦時点でのFIFAランキングが適用される。1位:2、2位~149位:(200-対戦国のFIFAランク/100、150位以下:0.5
・(D)
⇒対戦国が所属する連盟の強さ
⇒UEFA: 1.0 CONMEBOL: 1.0 CONCACAF: 0.88 AFC: 0.86 CAF: 0.86 OFC: 0.85の定数をもとに、2国の定数の平均値を係数とする。
◆ランキングポイント
⇒4年を1年ずつ4つに区切り、直近の1年ごとに、上記で算出したマッチポイントの合計を計算し、試合数で割る(ただし、5試合以下のときは5で割る)
⇒そしてその4つの数値に、直近の1年のものには1、以下0.5、0.3、0.2をそれぞれ掛け、足し合わせる。
こうして指摘されている部分に関しては、より納得のいく順位が現れることをFIFAも当然望んでおり、何度か改定を重ねて苦慮している。直近ではドイツW杯後の2006年7月12日に評価方法は改定されている。とりわけ直近4年のすべての国際Aマッチをポイントの対象にする変更は、対戦相手の強さごとの重み付けとあいまって、強豪国間での試合が多い上位国におけるランクをより正確なものとした。
この計算式にはFIFAも満足しているのか、改定後初の南アフリカでのW杯では、ポッド1決定の際に、グループリーグ抽選会前のFIFAランクの上から7カ国をそのまま採用しており、開催国+ランキング上位7位がそのままポッド1とされている(グループリーグでは、ポッド毎にA~Hの組に国を配置していく方式がとられている。つまり、同じポッドに入った他の強豪国とはグループリーグにおいて異なる組に入ることとなる)。もちろん地域の割り振り等を考慮した結果としてこれに落ち着いた可能性もあるが、いずれにせよFIFAランクはランク上位国に対しては重要な考慮要素として用いられている。
以上の通り、FIFAランクは実際の強さと一定の関係があり、また、W杯予選や本大会の組み合わせのポッド分けにおいて実際的な意味を持つ。新しい計算式は、少なくともランク上位国は実際の強さを反映しているように思え、また、実際的な大きな意味を持つのも上位国に限られる(7位前後の国の国民であれば、制度への批判は切実な意味を持つだろう)。W杯の予選もまた、FIFAランクに基づき抽選の割り振りがなされるが、ランクが世界における立ち位置を示さないまでも、同じ予選地域における上下関係について実際の強さを反映していれば足りる。そうだとすると、問題のない計算式であるように思える。
他方で、FIFAのブラッター会長は、W杯のアジア枠を増やすべきだという趣旨の発言を今年の5月にしている。その根拠は、FIFAの収入はアジアが半分を占め、欧州の貢献度は2割以下だという点にあるとされている。ポッド分けにおいて同地域のチームが多くあたらないように工夫したり、考慮要素は表立って言及されるもの以外にも、実に様々あるだろう。その中で、試合結果を基に計算される考慮要素たるFIFAランクは、意外と好ましいものなのではないだろうか。
ちなみにFIFAランクの正式名称は「FIFA/Coca-Cola World Ranking 」である。過去4年の国際Aマッチを対象に計算する。計算式は以下の通りである。思われている以上に係数の値は実は多くの人の主観とマッチするのではないか。
◆マッチポイント
⇒(A)×(B)×(C)×(D)×100
・(A)
⇒勝ち点
⇒勝ち:3、引き分け:1、負け:0。PKのときは勝ち:2、負け:2。
・(B)
⇒試合の重要度
⇒親善試合等:1、大陸選手権予選、W杯予選:2.5、大陸選手権本大会、コンフェデ:3、W杯本大会:4
※「大陸選手権」とは、EURO、アフリカネイションズカップ、コパアメリカ、CONCACAFゴールドカップ、OFCネイションズカップ、アジアカップの6つの大会をいう。今月行われる東アジア選手権は「親善試合等」にあたり、係数は親善試合と同じ1である。
・(C)
⇒対戦国の強さ
⇒対戦時点でのFIFAランキングが適用される。1位:2、2位~149位:(200-対戦国のFIFAランク/100、150位以下:0.5
・(D)
⇒対戦国が所属する連盟の強さ
⇒UEFA: 1.0 CONMEBOL: 1.0 CONCACAF: 0.88 AFC: 0.86 CAF: 0.86 OFC: 0.85の定数をもとに、2国の定数の平均値を係数とする。
◆ランキングポイント
⇒4年を1年ずつ4つに区切り、直近の1年ごとに、上記で算出したマッチポイントの合計を計算し、試合数で割る(ただし、5試合以下のときは5で割る)
⇒そしてその4つの数値に、直近の1年のものには1、以下0.5、0.3、0.2をそれぞれ掛け、足し合わせる。
2013年6月1日土曜日
病気のこと
「病気」とはなんだろうか。これを定義するのは実は難しい。おそらく「健康」「正常」を定義し、それのとズレを「病気」と名付けるのだろう。この「健康」の設定の仕方によっては、左利きも怠惰さもブサイクも、なにもかもが病気になるだろう。
「病気」という語がなんらかの意味をもつためには、なんらかの限定が必要なはずだ。
「健康」とはなんだろうか。
「生まれながらにもっている性質」だとすると、「生まれながらの病気」の存在を否定することとなってしまう。では、「多くの人が生まれながらにもっている性質」だとどうだろうか。そうすると、どの程度の人が持っている性質が「正常な性質」であり「健康」なのだろうか。割合を基準とした定量的な定義付けは、線引きが難しく、また、少数派を締め出すことになりかねない。少数派に「病気」というレッテル、スティグマを貼り付けることになりうる。やはり適切な定義はできそうにない。
考え方を変えてみよう。
「設定した健康に近づける手段が存在するときに、それは病気となる」はどうだろうか。
まず、設定の主体はどこにあるべきだろうか。
権威的機関が一括に設定するか、個人の主観に委ねるという方法がありそうだ。前者には危険がある。多数派が少数派に対し、「病気」と名付けることができてしまう。もっとも、一括に設定された権威付られた定義がなければ、医療行為を定義付けることができず、社会は動かない。後者にも問題がある。「私は病気なので。病気のせいで」という言い回しが当然に他者に通用するわけではなくなってしまうからだ。とはいえ、主観的に自己が病気だと考え、また、正常へと近づける手段が存在する場合には、それを「病気」と名付けてしまってよい気がする。
定義を考えるときは、両方の観点から見る必要がありそうだ。そして、どちらの観点によるかによって、「病気」という語の役割は変わってくるだろう。
では、「設定した健康に近づける手段が存在する」という客観的定義の部分はどうか。
これは、薬で物理的化学的に治したり、カウンセリングにより精神的働きかけで治したり、と「病気」のもつイメージに近い。これでは「不治の病」が「病気」の定義から外れてしまうのではないか、ということが少し気になる。とはいえ、この場合は、進行を遅らせる手立てがあれば、なお定義は維持できそうだ。また、全く手立てがないのであれば「病気」と名付ける意義は実は乏しいのかもしれない。
しかしこの定義の問題は、左利きも低身長も「健康」に近づける手段が存在するということにある。これらは「病気」とするのが適切なのだろうか。右利きになるよう治療すれば包丁やドアや改札といった多くの場面で社会生活が楽になる。そして、左手に包帯を巻き数ヶ月過ごす、といった矯正「治療」も可能であろう。主観的に治したいと感じている者に治療を施すことはよいであろう。他方で、権威的機関が一括に設定し、ある種のレッテル、スティグマを貼り付けてしまうのは問題がありそうだ。そうだとすると、医療行為として認定されず、主観的観点による定義は無意味なものに帰する。
ちなみに筆者は左利きである。(この一文が一定の役割を果たしてしまう点に社会の問題がありそうだが、これはまた別の機会に。)
「病気」の名付けの基準、歯止めはあるのだろうか。
歯止めがないとすれば、「これは病気です」「私は病気なのです」という言葉はほとんど情報量を持たないことになってしまう。
「病気」という語がなんらかの意味をもつためには、なんらかの限定が必要なはずだ。
「健康」とはなんだろうか。
「生まれながらにもっている性質」だとすると、「生まれながらの病気」の存在を否定することとなってしまう。では、「多くの人が生まれながらにもっている性質」だとどうだろうか。そうすると、どの程度の人が持っている性質が「正常な性質」であり「健康」なのだろうか。割合を基準とした定量的な定義付けは、線引きが難しく、また、少数派を締め出すことになりかねない。少数派に「病気」というレッテル、スティグマを貼り付けることになりうる。やはり適切な定義はできそうにない。
考え方を変えてみよう。
「設定した健康に近づける手段が存在するときに、それは病気となる」はどうだろうか。
まず、設定の主体はどこにあるべきだろうか。
権威的機関が一括に設定するか、個人の主観に委ねるという方法がありそうだ。前者には危険がある。多数派が少数派に対し、「病気」と名付けることができてしまう。もっとも、一括に設定された権威付られた定義がなければ、医療行為を定義付けることができず、社会は動かない。後者にも問題がある。「私は病気なので。病気のせいで」という言い回しが当然に他者に通用するわけではなくなってしまうからだ。とはいえ、主観的に自己が病気だと考え、また、正常へと近づける手段が存在する場合には、それを「病気」と名付けてしまってよい気がする。
定義を考えるときは、両方の観点から見る必要がありそうだ。そして、どちらの観点によるかによって、「病気」という語の役割は変わってくるだろう。
では、「設定した健康に近づける手段が存在する」という客観的定義の部分はどうか。
これは、薬で物理的化学的に治したり、カウンセリングにより精神的働きかけで治したり、と「病気」のもつイメージに近い。これでは「不治の病」が「病気」の定義から外れてしまうのではないか、ということが少し気になる。とはいえ、この場合は、進行を遅らせる手立てがあれば、なお定義は維持できそうだ。また、全く手立てがないのであれば「病気」と名付ける意義は実は乏しいのかもしれない。
しかしこの定義の問題は、左利きも低身長も「健康」に近づける手段が存在するということにある。これらは「病気」とするのが適切なのだろうか。右利きになるよう治療すれば包丁やドアや改札といった多くの場面で社会生活が楽になる。そして、左手に包帯を巻き数ヶ月過ごす、といった矯正「治療」も可能であろう。主観的に治したいと感じている者に治療を施すことはよいであろう。他方で、権威的機関が一括に設定し、ある種のレッテル、スティグマを貼り付けてしまうのは問題がありそうだ。そうだとすると、医療行為として認定されず、主観的観点による定義は無意味なものに帰する。
ちなみに筆者は左利きである。(この一文が一定の役割を果たしてしまう点に社会の問題がありそうだが、これはまた別の機会に。)
「病気」の名付けの基準、歯止めはあるのだろうか。
歯止めがないとすれば、「これは病気です」「私は病気なのです」という言葉はほとんど情報量を持たないことになってしまう。
だらだらと述べてきたことの論旨は簡潔なただ一つ。定義付けることは困難だ、ということだ。難しい問題ではあるが、「病気」というものの定義が自明ではないことを意識することは有用であろう。もう少し踏み込むとすれば、「私は病気を抱えているので…」と「病気」を根拠に他者に何かを求める場合には、求める側が、いかなる観点でそれが「病気」であるかを相手に説明する必要があるのではないか、とは言えないだろうか。
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