色々と騒がれている先の27時間テレビにおける「爆裂お父さん」の企画。
いくつかのことがすでに様々な場で指摘されているが、どれもピンとこない。仮に問題があるとすれば、そもそもAKB48が出演したことなのではないだろうか。
あのコーナーの趣旨はこうだったはずだ。すなわち、売れないアイドル(あるいは売れかけているアイドル)が、発売されるCDの宣伝のために登場する。そして、鍋を囲みトークをする。その中で、予め用意されたきっかけにより加藤さん扮する「爆裂お父さん」が怒り、ジャイアントスウィングがなされる。この「ジャイアントスウィングによる回転」と「CDの回転」とが掛けられて、加藤さんによりアイドルの身体が回転させられている間にだけ楽曲がかかり、それが宣伝となる。というものだ。
そのようにして、「酷い目にあったのに何故か心からお礼を言う」という倒錯した状況が現れるのだ。そこにシュールな笑いがあったのではなかったか。
このシュールさが笑える笑えない云々という指摘は、暴力の是非を問題とした場合には、論点がズレている。意味のある暴力ならアリで意味のない暴力ならナシ、とでもいうのだろうか。そう考えるのでなければ、暴力の是非において問題とされるべきは合意の有無であり、今回、合意は明らかに存在し暴力としては問題がないというほかない。加藤さんと彼女たちは、加害者と被害者という関係にあるのではなく、企画の表現主体という同一の立場にあるのだ。そこを理解できないのは、アイドルという存在にのめり込みすぎというものだろう。
とはいえ、違和感を残す放送であったことは間違いない。そして、問題や違和感の正体が暴力でないとすれば、どこにあるか。それはやはり、AKB48が爆裂お父さんに出演している、という部分だろう。
AKB48は売れないアイドルや売れかけているアイドルではない。ジャイアントスウィングやそれに類する暴力を受ける理由が企画の表面上存在していないのだ。
特番であることから、仮にAKB48の出演という違和感には目をつぶるとしても、決定的に問題がある箇所があった。それは、お台場合衆国のCMが途中で何度も配置され、CMにおいて難なく曲が流されていたということだ。これに関しては岡村さんも気になったようで、CM明けに「いまのはCMやからね」といった感じのフォローをしていた。これはさすがにまずいだろう。
なんであれ、彼女たちにはジャイアントスウィングによって宣伝を受ける理由がないのである。違和感の正体はここにあったのではないか。
★★★
AKB48は、一瞬の印象では価値を把握できないハイコンテクストなコンテンツであった。少なくとも私にとってはそうであった。しかし最近、ユーキャンのCMの子やめちゃイケの試験におけるバカの子といった、一瞬の印象で価値を把握できる子たちが売り出されており、一般視聴者もコストなく価値を享受できるようになっている印象がある。私見であるが、バカの子のかわいさは半端ない。確実に私の「かわいい」というイデアの水槽か出てきた存在である。いかなる修正も必要としない完全なる存在である。