国内組はなぜ代表に呼ばれないのか、という問題提起が大きく持ち上がっている。コンフェデ後にまたゼロから代表選手の選考をする、という話がある。そして、間近に迫る東アジア選手権。上記の問題提起が持ち上がるには十分な背景がある。
他方で、サッカーがいかにメンタルのスポーツであるか、ということもコンフェデで改めて浮き彫りになったといえるが、国内組と海外組の形式的な違いは、ここに関連しそうである。代表の主力である本田選手や内田選手は、「勝ち癖」という言葉を以前からよく用いており、今回も敗戦の理由としてこの言葉を提出している。「勝ち癖」というのは、当然、「世界レベルの試合における勝ち癖」を意味するであろう。イタリア戦で前半終了間際、ピルロがCKに急いで日本の準備が整わないうちにリスタートをし、デロッシのゴールが決まったあのシーン。給水をしていた遠藤選手と前田選手が象徴的に画面に映し出されていた。いずれも日本を代表する高い能力を持った二人だ。
Jリーグのレベルはどのようにしたら上がるのだろうか。素朴に考えてみようと思う。
まず、能力が高い選手を連れてきたり雇ったりするためには、お金が必要だ。Jリーグのチームの主な収入源は、スポンサー収入(広告料など)とサポーター収入(入場料、グッズ販売による収益など)だ。集客力を高めることが決定的に重要だということは感覚的に分かる。もしかしたら、身体能力の高い子どもが、他のスポーツではなくサッカーで一流になることを目指すようになる、ということも必要かもしれない。いずれにせよ、Jリーグへの関心、サッカーへの関心を高めることが必要そうだ。
ここで、「人々の価値観を変えよう」というアプローチがあり得るが、個人的には賛成できない。都民の多くが望んでいないことがデータとして明白に表れていたのに、「東京でオリンピックを開催することは善きことだ」という個人的な信念の下で、他人の価値観を変更しようとするのは、あまり褒められたことに見えなかったからだ。また、何事も、北風作戦よりは太陽作戦の方が上手くいくように思える。いずれにせよ、既存の価値観をもったまま、人々がJリーグに関心を持つようになる方法がないのかを考えていきたい。
スポーツの楽しみ方は、大きく分けて二つある。
まず、レベルの高さを楽しむという観点がある。しかし、明白により優れたリーグが海外にある以上、この観点からはJリーグへの関心がそれほど高まらないであろう。
次に、ストーリーを楽しむ、という観点がある。使えるとすればこの観点だろう。熱心なサッカーファンも、映画のように試合を楽しむことがあるだろう。それは試合の内側においてもそうであるし、背景的なものを含んだ物語である場合もあるだろう。ここ1ヶ月くらいのことで言えば、CLに優勝した後のドイツカップ決勝という現体制最後の試合でマリオゴメスが先発起用されたことや(しかも2点もとった!)、あるいはヴォルフスブルクに移籍したペリシッチがドルトムント相手に活躍した(2点もとった!)ことは、ストーリーとしてもぐっとくるものがあった。
駅伝や高校サッカーが比較的広い層に楽しまれている理由はこの点にあるだろう。レベルの高さという点では他の大会に劣るこれらが、広い層に受け入れられているのは、汗と涙のストーリーがあるからだ。前日から周到に各校の歴史的背景、因縁を伝える番組が組まれ、また、試合後のロッカールームの映像が流される。これらを知るからこそ、ぐっとくる。
Jリーグにおいても、これができないだろうか。
こういった発想は当然に生まれるものであり、例えば実際にいくつかの地方で、地元チームの応援番組が放送されている。しかし、多くの場合これらは深夜帯または早朝(セレッソなど)に放送されるものであり、今年の3月には、「グランパスTVプラス」という19年間続いたグランパスの応援番組が終了したことが話題となったように、こういった番組は熱心なファンをつなぎとめることには役立っても、新規のファンを獲得する役割を担うのは困難だといえそうだ。
では、どのような方法が考えられるか。次の機会に書ければと思う。
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