2013年7月3日水曜日

共感と理解のこと

猫好きの気持ちが全く理解できなくとも、猫好きの気持ちを犬好きとして了解することはできるだろう。友好な関係を築くのに必要なのは、共感ではなく理解だ。理解ができなければ問い質せば良いだろう。理解という論理の領域を解消すればよく、共感という価値観の領域をすり合わせる必要はない。

他者に対し違和感を感じてしまうことは避けられない。善かれ悪しかれ事実として価値観は多様だ。とはいえ、共感ができなくとも理解できるならば、相手に対する違和感の属するところは、論理ではなく価値観の領域であると気づくことができる。違和感の属するところが論理の領域であるときは、相手の誤りを指摘し意見を変えさせることができる。しかし、違和感の属するところが価値観の相違にあるときは、あらゆる指摘はブーメランである。相手よりメタに立つこともできない。そのことに気付けば、次の話に進むことができる。そもそもコミュニケーションとはそういうものではなかったか。

0 件のコメント:

コメントを投稿